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れれれのおじさん

Author:れれれのおじさん
長崎生まれで高校卒業まで長崎育ち。74年に建築設計の世界に入り、ゼネコンの設計部、アトリエ系の設計事務所などを、さらしに差した鉛筆一本で渡り歩いて設計を修行。86年に縁もゆかりも無い福岡で設計事務所を開設。日本の気候風土に合った風通しのいい住宅を基本に、自然素材を使った住宅造りを続けている。

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2019/06/12 (Wed) 11:08
母が鬼籍に入りました

私事ですが、さる6日22時に母がなくなりました。

当日は危篤という午前中に連絡を受けて急遽長崎まで車を飛ばしたおりには、なんとか持ち直したことを見届けて一安心して自宅に戻り仕事をしていましたが、夕方に再び連絡が来て、とるものもとりあえず再度長崎に車で向かいました。

一日に2度、長崎に向かうことは流石に疲労もたまりましたが、そうも言ってられません。
こうなると、車を手放そうかと思っていたところ予想外に査定が低かったので売却を見送ったことが良かったというしかありません。

20時ごろ着き母の居室に入りました。長崎在住の兄が来ていましたが、母はもはや意識もない状態でした。

施設からの連絡を受けた東京の兄も急遽長崎空港に着いた連絡がきましたが、果たして兄が間に合うのかどうかという状況でした。母の手をずっとさすり続けましたが、初めて母の指が細くて長いということを知りました。
さすり続けている間にも、意識が朦朧としているにもかかわらず、時々一瞬目を開けて目線が合うことが有りました。懸命に生きようとしてるのだろうと思い、私も少しでも命を永らえさせるために懸命に手を擦り続けました。

長崎の兄は、母の体温が高いことを心配し、医者から水分を取らせたほうがいいということを聞いたことで、ゼリー状になった水を口から無理にでも飲ませようとし続けていましたが、東京の兄が病室に入って間もなく息を引き取りました。
結果的に無理に水を飲ませようとした行為が引き金になったようなものでしたが、長崎の兄の行為は一生懸命だった事がわかるだけに気持ち的には複雑な感情を持ちました。

私服で来ていましたし、頭書は施設の来客用宿泊室に泊まるつもりで着替えやタオルなども近くのスーパーで買い求めていましたが、22時過ぎであれば自宅に戻りって喪服などの準備をするために一旦福岡に戻り、仮眠をとってから翌日に来ることにして、深夜、大雨の仲、高速を走りました。

これが実に緊張しました。

そもそも深夜の高速道路はあまり経験がなく、しかも豪雨の高速道路は経験は初めてでした。
走行車両は少ないとはいえ視界は極端に悪く、ハイビームでは高速道路の標識が反射して路面が見づらいということもわかりました。
緊張したままに福岡に戻り、喪服などを準備して翌早朝に再度長崎に向かいました。

今度は今までの施設ではなく葬儀場。
ここは以前、父の葬儀をしたところなので道はわかるはずでしたが、ナビへの入力が悪かったせいで、予想していた方向と違う方向に案内してくれます。
おかしいなと思いつつも言うとおりに走り続けたら、葬儀場と真反対の場所に来ました。

その間、仕事関係の方々に事情を説明するために電話連絡をし続けましたが、役所の担当者に連絡をした時に、思わず涙と嗚咽がこぼれ、しばらくは声が出ませんでした。
冷静なつもりでいましたが、これには我ながら意外でした。

葬儀の間は、数年ぶりに逢った身内関係者やその子どもたちと和やかに談笑しましたが、火葬場で窯入れの前に棺桶の蓋を開けて母の顔を見たときには、涙が溢れ出しました。

これで二度と会えないと実感した瞬間です。

兄たちと思い出話に盛り上がりましたが、共通していたのは、気が強く厳しい母だったということでした。その気の強さは入所していた施設の中でも飛び抜けていたらしく、さもありなんと納得したものでした。

その気の強さは兄弟の中で誰が継いでいるのか盛り上がりましたが、しかし、兄弟全員が愛情深く育ててくれたことに感謝しても足りないほどです。

愛情深く育ててくれたにもかかわらず、相変わらず心配をかけ続けている不甲斐ない不肖の息子のままで、本当に申し訳ない思いをしています。




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Re: ありがとうございます

平ちゃん様
心のこもったコメントを、ありがとうございます。
98歳まで生きたので大往生と思いますが、子供の頃は厳しい母で、その頃のイメージがやはり強く残っています。小さい頃は厳しくしつけるというポリシーだったのでしょう。特に昔の女性ですので、士族出身ということに強いプライドを持っていました。そのせいでもあるでしょうが、とにかく厳しかったですね。しかし私が成長するにつれ、厳しさも無くなって来ていました。
今振り返れば、厳しくとも深い愛情を持って接してもらったと実感しています。

> お母様のご冥福をお祈りいたしますm(__)m
> 心身ともにお辛いと思いますが、体調を崩されないようご自愛くださいm(__)m

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