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れれれのおじさん

Author:れれれのおじさん
長崎生まれで高校卒業まで長崎育ち。74年に建築設計の世界に入り、ゼネコンの設計部、アトリエ系の設計事務所などを、さらしに差した鉛筆一本で渡り歩いて設計を修行。86年に縁もゆかりも無い福岡で設計事務所を開設。日本の気候風土に合った風通しのいい住宅を基本に、自然素材を使った住宅造りを続けている。

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2007/10/10 (Wed) 19:12
沖縄の抱えている問題

沖縄で教科書に書かれている内容に異議申し立てのエネルギーが満ち溢れているようです。
日本で唯一地上戦が行われ、当時の日本軍から沖縄住民が見捨てられた経緯もあり、その心情は理解できます。

沖縄には3回行きました。

一回目は全くの観光。
東京に在住時の1977年の盆休みに旅行会社のツアーで初めて行きました。
大学時代は休み毎に国内のユースホステル(若い人は知らないだろうねー)に泊まりながら旅行しました。その旅費を捻出すべくバイトをしました。そのバイトの話をすると長くなるので止めときますが、一番面白かったのはお化け屋敷でした。その話は後日。

そんな風で、大学時代の気分の延長のまま、沖縄本島から石垣島、竹富島と足を伸ばした旅行でした。

初めて那覇空港について市内に向かうバスに乗った時、異様な光景にショックを受けたのを良く覚えています。

車道の右手には綺麗な芝生が敷き詰められ、こぎれいな住宅が点在するといういかにも気持ちのよさそうな光景と左手のごった煮のような民家が寄り集まった光景を目の当たりにしたとき、沖縄の抱えている問題が分かるような気がしました。

沖縄は日本本土の踏み台になっているということを。

安保条約と言う名による日本のアメリカへの隷属化。そして、その責務のほとんどを沖縄に押し付けているという現実。

楽しいはずの沖縄が一度にして屈辱感に見舞われた瞬間でした。

沖縄本島ではツアーに組み込まれたルートで粛々と行動し、数日して石垣島へ飛びました。

沖縄に着いたときのショックも忘れかけたある日、竹富島の船着場から海水浴場へ歩いていたとき、我々観光客を見下ろしていた竹富島在住の若者が聞こえよがしに「本土者が」と憎しみのこもった声で言ったのが聞こえました。空港から市内に向かう時に見た光景にショックを受けた記憶が蘇り、観光気分で来たことをひどく恥に感じました。

沖縄の持つ憎しみ、怒り、悲しみは、その若者たちの言葉をかりて伝わってきました。

ひめゆりの丘にも行きました。
その薄暗い会場に足を入れたとたん、壁にかけられた多数の無くなった女子校生徒の写真の瞳に胸がつまり、「なぜ」「どうして」という言葉が頭の中でエンドレスに廻りました

私に何ができるというものではないですが、沖縄の人をまるで植民地の人間のような扱いかたしかしないアメリカ人、そしてアメリカ人による卑劣な犯罪行為があっても日米地位協定という屈辱的な取り決めで犯人を逮捕できないということを厚顔無恥にも放置している自民党政権に対する怒りは、私も共有することができます。

沖縄の海は確かに綺麗で空の青さや雲の美しさは、一度でも見れば虜になります。しかし、その自然の美しさと沖縄の抱えている問題の対比を考えると、沖縄は本来の琉球王国に戻って独立すべきではないかと思ってしまいます。

沖縄の建築が好きで、その後2回行きました。

沖縄の設計事務所の知人とも一緒に飲んだりしましたが、風土の持つ明るさや沖縄人のおおらかさの奥に眠っている歴史上の悲しさを思ってしまいます。

戦争が終わって生まれた者にとって、当時の日本の狂気の時代は実感として持てませんが、戦争により未来を奪い取られた人たちの瞳を見つめられませんでした。

沖縄の抱えている問題。

我々本土の者が自分の問題として捉えない限り、都合の悪い部分を永遠に彼らに押し付け続けることになるのでしょう。
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