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れれれのおじさん

Author:れれれのおじさん
長崎生まれで高校卒業まで長崎育ち。74年に建築設計の世界に入り、ゼネコンの設計部、アトリエ系の設計事務所などを、さらしに差した鉛筆一本で渡り歩いて設計を修行。86年に縁もゆかりも無い福岡で設計事務所を開設。日本の気候風土に合った風通しのいい住宅を基本に、自然素材を使った住宅造りを続けている。

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2012/07/23 (Mon) 08:02
長崎大水害から30年

今日は私の故郷長崎大水害から30年目です。

1982年7月23日に、長崎市内で一時間に150ミリ以上、茂木では今だに国内記録として残っている一時間187ミリの降雨が記録されています。

一時間に50ミリの雨でも豪雨と言われているのに、それよりも100ミリ以上、137ミリ以上の雨とは想像できません。

当時はニュースを見てすぐに田舎に電話しても全く通じず、心配しながら翌日24日に出勤しましたが、職場の上司から、今日は仕事はいいから田舎の方に電話しなさいと言われ、周りに気兼ねなく電話しまくった記憶があります。

それでもまった通じず、田舎の両親に何かあったのじゃないかと悪い考えばかりが頭に浮かび、私的なこととはいえまったく仕事に集中できませんでした。それよりも辛かったのは周りの仲間が私に気を使って表情が強ばっていたのを覚えています。

雰囲気を和ませるためになにか一発ギャグでも言えればいいのかもしれませんが、それさえも仲間が俺らに気を使っていると思わせることになり、ますます私に気を使うことになるのでひたすら仕事に集中することだけに神経を使いました。

昼ごろになってようやく電話が通じました。
幸いに父、母も無事でしたが、兄がもう少しで車ごと流されそうになったという話でした。

兄の話では、信号待ちしているときに道路が冠水し始めたなと思った間もなく滝のように水が溢れだし車のドア半分まで埋まり、慌てて窓から脱出したということでした。とにかくワイパーなどは効果なく、窓の外の状態がよくわからなかったことも原因だったそうな。

その年の暮に帰省した際に、まだまだ山の斜面の崩れた跡が生々しく残っており、家々の屋根にはブルーシートがかぶさったままの状態の家屋がかなりの数ありました。

この国は地震、豪雨、台風、そして津波など、天災の巣窟と言われるくらいの好位置?に有るのじゃないかというくらいのポジションに存在しています。アメリカにとっても、この国の形状、位置は幼児性癖から抜け切れない2つの独裁体制の二つの某共産主義国家からの攻撃に対する国防的な防波堤的形状をしている故に、最大限利用しています。
まあ、この話は今回は止めるとして。

広大な国土に恵まれた国と違って85%以上が山岳地帯というこの国で、豪雨のたびに毎年のように繰り返されるがけ崩れ、堤防の決壊による人民の損失。

災害が起きるたびに思うことですが、その災害で命を失った人は、その前の日は他の様々な被害者に涙した人々です。それが翌日は自分の方がこの世から突然に居なくなってしまいます。

諸行無常そのものを昔の人は伝えましたが、21世紀の今日に至っても状況は殆ど変わらない。

ほぼ同じ面積のイギリスは其の大部分が平地であるために産業が発達しましたが、大部分が人が住めない国土を持つこの国では、こうした自然災害に対する対処方法が未だに未整備。

人知の力より自然の力が凌駕しているという自然の摂理なのか、官僚や政治屋の無能さゆえか。

30年前には妻のお腹に、私たち夫婦の初めての子、長女が命を育んでいました。

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