プロフィール

れれれのおじさん

Author:れれれのおじさん
長崎生まれで高校卒業まで長崎育ち。74年に建築設計の世界に入り、ゼネコンの設計部、アトリエ系の設計事務所などを、さらしに差した鉛筆一本で渡り歩いて設計を修行。86年に縁もゆかりも無い福岡で設計事務所を開設。日本の気候風土に合った風通しのいい住宅を基本に、自然素材を使った住宅造りを続けている。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

FC2ブログランキング

FC2アフィリエイト

FC2アフィリエイト

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

2009/08/10 (Mon) 09:01
長崎の平和祈念像

昨日は長崎の原爆祈念日でした。
TVをつけると、何のメッセージも伝わってこない彫刻家の売名と当時の無能市長の手によって造られた平和祈念像が正面に映り、音声は聞き覚えのある耳に不愉快なだみ声が流れていました。

それにしてもつくづく思うのは、この平和祈念像。
広島の原爆ドームの原爆に対する強いメッセージに比べると、原爆の悲惨さを伝えるには余にも底の浅い、ただの彫像にしか伝わらない。
私が子供頃にこの像を見たときに、なんで力道山を作ったんだろうと疑問に思う程度しかなく、長崎生まれがその程度の印象しかもてないのだから、ましてや非戦闘員を大虐殺した加害国の低脳民族のアメリカなんぞに何が伝わるんだろう?一体何を伝えたいんだろう?

学校では、この馬鹿げた祈念像の、上に上げた手と水平な手の意味を説明していた記憶がありますが、そんなことをいちいち説明しないと伝わらないようなのは必要ない。まさに彫刻家北村西望の自己満足でしかありえないシロモノ。

http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0208/genbaku/rensai/dansou/03.html

何故、被爆を受けた浦上天主堂を解体したのか疑問でしたが、昨日の西日本新聞の書評のコーナーで、<ナガサキ 消えたもう1つの「原爆ドーム」(高瀬 毅著)(平凡社刊)>を元長崎総局 馬場周一郎氏が紹介していた文中で、<米ソ冷戦激化による原爆開発正当化したい米国の意向と永井隆博士が「残骸を見たくない」という信者らの意向で解体に至った>ということが紹介されていました。

この像が本当にナガサキを代表する資格があるのかと指摘して、その理由を
<原爆ドームは「被爆した」が、平和祈念像は「被爆していない。>
と書いています。
ここが、まさに私が長年持ち続けていた祈念像への疑問と嫌悪感を的確に指摘しています。

<取り壊し反対の当時の市議 岩口夏夫の議会で、「廃墟の瓦壁は二十世紀の戦争の愚かさを表現する犠牲の瓦壁である。十字架である。」と演説した。>
<原爆ドームを守った広島、天主堂を守れなかった長崎、その差は余にも大きい。天主堂喪失ーそれはやがて到来する核の時代を前にしてが長崎市民の痛恨事だったかもしれない。>

と書かれています。

当時の市長、信者、そして何よりも長崎に影響を与えた永井博士の視点は、まさに岩口氏の先見の明のある名演説と対極的な戦争の愚かさやアメリカのジェノサイドを隠そうとする意図が見え見えであることは明らかです。とくに永井博士の、原爆は神の摂理だ、との発言は、加害国のアメリカを擁護する所作であり、あまつさえ、被爆した浦上天主堂を解体するように仕向け、岩口氏にくらべても余にも先見の無さに、無能そのものであって、なんら評価を与えるべき人物ではないと思っています。

この、「ナガサキ 消えた・・・」という本。
まさに私の積年の疑問や怒りへの返事と、そして何より、第二の原爆ドームとなって人類にとって貴重な世界遺産となったはずでしたが、永井のようなアメリカの手先になった連中により無残にも解体された浦上天主堂へのレクイエムとなるものと期待しています。


スポンサーサイト

<< 精霊船 | ホーム | 日本はおかしい >>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP