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れれれのおじさん

Author:れれれのおじさん
長崎生まれで高校卒業まで長崎育ち。74年に建築設計の世界に入り、ゼネコンの設計部、アトリエ系の設計事務所などを、さらしに差した鉛筆一本で渡り歩いて設計を修行。86年に縁もゆかりも無い福岡で設計事務所を開設。日本の気候風土に合った風通しのいい住宅を基本に、自然素材を使った住宅造りを続けている。

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2007/03/13 (Tue) 11:03
曖昧さ その2

 日本人特有の曖昧さに関しては、作家の大江健三郎も著書のタイトルで「曖昧な日本の中の私」(だったと思いますが・・)と書いています。曖昧と言うことは、物事の実態をあからさまに表さないで、そこはかとなくかもし出して相手にそれとなく伝える。というような意味合いと思いますが、広辞苑なんかを引き合いにするとやたら難しくなるので止めときます。
 
 その昔、国語の授業でよく「行間を読め」とか言われた記憶があります。ギョウマ?っていう感じで当時はさっぱりでした。しかし、この「ギョウマを読む」ということは、日本人の社会で多く見られる現象ですね。たとえば、京言葉で、帰りかけている人に「「まぁ、お茶づけ(ぶぶづけ)でもいっぱいどうどす」なんて言われて本当にお茶づけを食べたらダメで、本当はもうそろそろ引き上げてくださいという意味らしいですが、直接意味する内容と違う意味を汲み取る能力を要求されますので、私みたいな単細胞には京都はとてもよう住めまへんどす。

 ことほどさように日本人はストレートな表現を嫌います。やはり、狭い国土で余計な争いごとを避けようという知恵なんでしょうかね。たしかに、「もうそろそろお引取りください」といわれるより、「お茶漬けでもどうですか」という婉曲的なお引取りを願う表現のほうが当たりが柔らかいですが、やっぱりそれならばということで、お茶漬けをもらいそうですよね。

 建築の話しからそれているようですが、これがちっともそれていないんです。なぜなら、建築はその国のかもし出す文化的な背景によって成り立つものだから。文化とは人が長い歴史に中で、意図的に無意識的に営々と作り上げ続けているものなので、建築はその文化から離れて存在するものではないのですね。それゆえに、建築を見ると、その国の文化の度合いが分かるのではないかと思います。文化と文明とは違うことにも注意してくださいね。文明はGNPなんかでの指数でも計れますが、文化は指数で表示できるものではありません。その点、この国の建築レエベルは、都市景観を含めて嘆かわしい状態じゃないかと思います。都街というか都市の景観の汚いことは外国に比べると一目瞭然です。ということは、この国の文化レベルも言わずもがなですね。

 曖昧さの建築的な表現として、建物を一目で見通せるような進入の仕方を取らないとか、物の間に格子状のものや現在では半透明のスクリーンなどを立てて、それを通して見せるとか(これを「透かす、もしくは透ける」という建築用語になっています。)いう手法が見られます。この「透ける」というデザインは、なかなかに空間が色っぽくなることもありますよ。えっ!いやいや、貴方が考えているようなことじゃないですよ。建築での話です。女性のことなんか言っていませんよ。トンでもないことです・・・・ムフフフ。あ、いかん、目がフニャ目になっちまった。

今回は曖昧さその2でした。
このシリーズ、まだまだ続けるぞーっと。
誰も期待してないって・・・
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