プロフィール

れれれのおじさん

Author:れれれのおじさん
長崎生まれで高校卒業まで長崎育ち。74年に建築設計の世界に入り、ゼネコンの設計部、アトリエ系の設計事務所などを、さらしに差した鉛筆一本で渡り歩いて設計を修行。86年に縁もゆかりも無い福岡で設計事務所を開設。日本の気候風土に合った風通しのいい住宅を基本に、自然素材を使った住宅造りを続けている。

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2017/02/28 (Tue) 16:00
翌日配達という過剰なネット通販のデリバリー

 2年以上使っていたと思われるマウスがおかしな反応をしだしたので、そろそろ寿命かなと思い、ネットでマウスを注文したのが昨日。それがたった今、着きました。

 それにしても早すぎだろう。
 
 早く着いて文句言う方もおかしいけど、宅急便のドライバーの負担が大きくなる原因を作り出してしまったと、ちょっと申し訳ない気になります。翌日配達希望でもないし、2,3数日かかってもカマヘンカマヘンなのに。

 これからはネットの配達も再配達が多い現状を考慮すると、こういう過剰な便利さをやっぱり変えていかないと、クロネコが始めた宅配のドアツウドアが廃れ、近いうちにコンビニや郵便局留めという形を取らざるを得なくなってくるんじゃないかと思いますね。

 宅配ボックスも集合住宅だけでなく戸建てにも必須になっています。

 集合住宅での宅配ボックスは、若い人なら大きなものでもなんとか運べるでしょうが、私が居る老朽マンションでは入居者も高齢者が多く、そのために集合メールボックスのある横に宅配ボックスを置くことは高齢者夫婦もしくは高齢者一人しかいないご家庭では、その荷物を持ち上げるのは誰かということを考えると、宅配ボックスを置くこともなかなか困難。

 また、宅配ボックスの容量にも限界があるので、なかなかすべてを満足させるのは難しい。

 何れにしても、ネット通販がここまで発展してきたら、今社会的に問題になっているドライバーの負担が大きくなっていることに対する配慮も、我々利用者も考えるべきでしょう。よほどの緊急でもなければ翌日配達は全く不要に思いますが、これも過度の競走によって生まれた過剰サービスなんでしょうね。

 ドライバーの過酷な労働条件を減らすべく、翌日配達や時間指定配達を有料化することで荷物の量を減らすような考え方を、社会的に支持するべき時が目前に来ているようです。

 最近、プレミアムフライデーとかはしゃいでいるニュースが放送されていましたが、そんなものを楽しめるのはごく一部の大企業と国家官僚どもだけという、あいも変わらないこの国の大企業の社員と役人どもだけが優遇されるという、いわば民族的ヒエラルキーを改めて見せつけられます。

 米でトランプに気に入られようと媚びた朝貢外交をし、自国に帰れば傲慢不遜の最高権力者や官僚どもに何ら解決策も見いだせない、見出す気概も見せない状況では、この国の労働者は、過重労働に耐えきれなくなった挙句、社会貢献と言う労働意欲を失い、結果的に国民総生産力の減退に繋がるのではないかと思います。

 ネット通販のデリバリーに対するドライバーの過剰労働は、そうした声を上げられない労働者の縮図のようです。

 
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2017/02/24 (Fri) 09:50
住宅の工事の遅れた理由

 昨日、今施工中の工期が遅れている住宅のことを書きましたが、遅れた原因の一つには、高気密高断熱住宅として作成した設計図をよく理解しないで職人たちが今まで手がけてきた方法で施工したことに対して、やり直しを度々させたことによる手戻りが生じたことも影響があることは否めません。

 これもひとえに現場監督が職人に対して指示指導をするべきことであるのですが、現場はもっぱら職人まかせという状況が見て取れました。

 数を上げれば切りがありませんが、基礎の段階から土台と柱の納め方の問題、もっと書くと木材の品質の問題、各詳細の納め方の問題など、現場に行くたびに手直しをさせる状態。

 初期の頃の一つの例として、床断熱の私の検査を受けないままに床の構造用合板を貼ってしまいましたので、床断熱材の検査のために床の合板のすべての撤去をさせたところ、案の定隙間が多く、ダメを指摘して断熱材の入れ直しをさせました。その床の構造用合板も、まだサッシが入る前でしたので降雨による吸水が見られたので、該当箇所の合板の取替もさせました。

 一事が万事、このレベル。

 もっと驚いたのは、屋根の通気層を確保していたにも関わらず、軒先からの通気口が取られていませんでした。現場監督に屋根工事業者にどういうふうな指示をしていたのかと確認したところ、通気口が要ると伝えていたのに忘れているようだと他人事のような回答。そりゃ職人も忘れていたかもしれないが、施工責任者は監督だし、ひいては施工責任は請け負った会社が負うことになることこそを忘れているような発言。

 そういうことを改めて認識してもらわなきゃいけない監理者も、イライラする神経と負担が増すばかりです。
 
 現場の大工の棟梁の話では、その現場監督は今までは現場は職人に丸投げで、こういうふうに設計事務所の監理を受けた経験はなかったそうな。

 予想はしていたもののやっぱりねと少々落胆しましたが、今更どうしようもなく、とにかく一旦受けたなら引き渡しが終わるまでしっかりと施工してほしいものです。

 現場監督には、泣いても笑ってもあと一ヶ月だよ。終わればもう二度と私に会わなくて済むんだから頑張れ、と励まして?います。(^_^;)

 しばらく行かないでいると、また心配の種が出てきそうだなぁー(-.-;)



2017/02/22 (Wed) 17:28
遅々としとして進まなかった住宅

 昨年から長々と続いてきた住宅が、ようやく後1ヶ月で完成という所まで来ました。

 まだ油断大敵ではありますが、ここまで来たら流石に現場監督も年度が変わったらマズイということくらいは理解しているのじゃないかと思います。

 確認済通知書を受け取ったのは昨年の5月。おっと、その前に敷地の前の通路が建築基準法の道路として認められるような43条申請をしたことを忘れていた。その申請をしたのが一昨年の11月。それから長々と続いて、43条の許可が出たのが昨年の1月。43条の許可申請だけで2ヶ月もかかりました。さらにそれから確認済通知書を取るまで4ヶ月かかっています。

 なんでそんなにかかったのか。

 建主にとって土地を購入する必要があり、そこが住宅の建築が可能かどうかの目処がたたないと購入できないという理由もあって43条許可が必要だったわけです。

 去年1月にその許可が出てから土地の購入をしましたが、その土地は急勾配の道路に接していますが、その道路の幅が2.5m程度しかないうえに敷地そのものが造成されていません。

 以前は平屋があったそうですが、それも僅かに残っている平らな部分に建っていたため、敷地そのものは手付かずの状態で整地が必要でした。また高低差が大きいために整地するためには擁壁も作る必要がありました。

 隣地との高低差が2m近くあったため擁壁は当然RC造になりますが、2mを超えると工作物申請が必要になるため1.9m程度の高さで擁壁を作ってもらうようにアドヴァイスしました。

 擁壁は私の業務外でしたので、あくまでもアドヴァイスにとどめています。

 擁壁の設計・監理は業務外ですが、上に立つ建物にも影響がありますので、近くを通りかかったら極力見るようにしていました。

 その擁壁の工事が取り掛かって終わるまでおよそ1ヶ月かかっています。コンクリートの養生には現場監督に口うるさいくらいにアドバイス?しました。

 その擁壁工事の前面道路に面するところはセットバックが必要になりますので、その擁壁が終わった後に測量事務所で境界を測定してもらいましたが、その際には道路を管理している市との官民境界査定が必要でしたので、これがまた時間がかかりました。

 そうやってなんだかんだと43条許可を得てから後、敷地の形状が確定するまで数ヶ月掛かるという状態でした。その形状が確定してようやく、それまでおおよそのプランで話を勧めていた配置が確定し、ソレを元に図面を起こしました。

 以前と違い、現在の建築確認申請は確認図と工事が合致している必要があります。
<私から言わせれば当たり前なんですが、これが以前は、確認と現場が違う図面を平気で書く設計事務所が多かったのも事実で、私がそういう要求の仕事を断った時、石部健吉のようなことをしていたら仕事がなくなるぞ、と某不動産屋の親父から脅かされた苦い記憶があります。またそういうことを平気でやる設計事務所は立ち回りが上手いのか、そこそこ名前も売れるという、歯噛みする思いをすることもありました。>
 
 確認提出後の変更は確認の出し直しなどの時間も手間も余分にかかるため、提出前に工事費を確定して変更がないようにしておく必要があります。そのため図面終了後に数社に見積もりをしてもらいますが、九州ではまだ少ないと思われる高気密高断熱住宅にしたためか何処の見積もりも予想以上に高く、大幅な設計変更をせざるを得ない状況に頭を抱えこんでいましたが、予算に合わせた一社が見つかったお陰でようやく確認が出せる状態になりました。

 これに整地後数ヶ月を要しました。

 いやはやとにかくなんでも時間の掛かる状態でしたが、確認申請はスムースに進み、5月に済証が得られました。

 さていよいよ着工だわいとワクワクしていましたが、いやまだ早い、地盤調査が必要だということでSWS調査に取り掛かり。

 そしてこれがまた、調査に取り掛かるまでが長い長い。なんでそんなに時間がかかるのかと思うくらいに長かった。たしかに雨もよく続いたこともありましたが、現場監督の段取りの悪さが徐々に気になり始めた頃です。

 やっとSWS調査となり、その際には立ち会いましたが、地盤の柔らかさが予想以上で、あらら、こりゃ地盤改良が必要になりそうだなーと心配の種がまた一つ。

 調査結果はいかにと思いつつも、これがまたナカナカでてこない。現場監督に何度も問合せても、暖簾に腕押し。こうなったら出てくるまでまとうホトトギスだぁ~(-_-;)

災難は忘れたころにやってくるを地で行くようにながぁ~い時間がたって、ようやく調査結果がでてきました。

 いそいそと見ると、ガァーン_| ̄|○ il||li
 数値的には地盤改良というレベルではなく、ソイルセメント杭の打設レベル。ここでまた追加工事発生です。

 然し、しないと将来的な建物への沈下が問題になるためにやむを得ない。発注者も予想外のため、決断まで少々時間がかかりましたが、結果的に杭を打設する方向になりました。

 そしてまたまたその杭工事の工事がなかなか取り掛からない。とにかく何事につけ、右から左にスムースに事が運ばないことに驚きました。

 一発で終わったお笑い芸人の「右から左へ~」なんてもんじゃなかったですよ、全く。

 もっと驚いたのは、プレカット図が再三再四催促すれども出てこない。プレカットの担当者が多忙を極めているという監督からの言い訳も耳にタコ状態。

 おいおい、ソレじゃ工期はプレカット屋の都合で決まるのかい?とキレましたが、それでも出てこない。

 ようやくプレカット図が 出てきたので、もうすでに工期も遅れているので1.5日でチェックして返し、修正図がすぐに来るかと思いきや、これがまた待てども待てども来ない。

 こんなことに慣れっこになりたくもなく、流石にキレました。

 ようやく、私の事務所でプレカット屋と打合せに伺いたいとの連絡。

 エッ?ちょっと待チネー。じゃ、今まで俺がチェックした図面の修正は手付かずってことか?と。

 驚くでしょ?

 このやり取りだけで2ヶ月はたっぷりかかっています。もちろん、工事はストップしています。基礎のコンクリートも打ち上がっていますが、その後何も進んでいない状態でした。

 近所の人がみたら工事ストップと思われたんじゃないでしょうか。

 本来なら去年の年末に完成して、新年には新居に入って迎えてもらおうと思っていたのが、亀の歩みのようにノロノロと工事は進んでいます。

 私が手術で入院したのも、1月ならもう殆ど終わっているだろうからということで1月半ばの入院としていたのですが、豈図らんや、そのときはまだ内部の断熱材も余り入っておらず、外装板も未取付でした。

 棟上げからすでに3ヶ月も経とうかという時期にも関わらず、そんな状態でした。

 然し、あと1ヶ月で終わらせないと重大な問題になることをしっかりと言い伝えましたので、ようやく工事がここに来て進み始めています。

 まだまだどうなることになるのか分かりませんが、あと1ヶ月で終わらせないと、施工者に対して損害賠償などの問題が出てくる可能性大で、本当に大変なことになります。

 ここで学んだのは、安く請け負った施工会社はやはりこんなレベルだったということです。つまり、全てに言えることですが、安かろう悪かろうの建築会社版。

 すったもんだしている住宅ですが、完成したら私のホームページに載せますので、興味のある方はその折には御覧ください。m(_ _)m

 

2017/02/16 (Thu) 08:01
我が家で追い詰められたガラケー最後の牙城

 カミさんが数日前にガラケーからスマホに替えました。以来毎日触り続けていますが、一見すると高価なおもちゃにも見えなくもなく。

 めんどくさそうなので私自身はガラケーで間に合うなと思いました。普段がデスクワークだし、調べたいことがあるとパソコンでサクサクと。ガラケーでは電話の送受信とメールの送受信がメインなので、スマホのようなパソコン機能は必要ない。・・・・・と、思っていましたが、京都の娘からカミさんのスマホに送られた孫の画像が大きくて鮮明なのにはさすがにカルチャーショック状態。

 ガラケーの画面では小さいので画像をいちいちパソコンに移動させないといけない手間もかかる上に、カミさんいわく、やっぱりスマホは色々と便利よねーと。

 ナ、何を言ってやんでーべらぼうめ。スマホは俺には必要ね~。といいつつ、カミさんのスマホにある孫の画像をチラチラと横目で見つつ、次第次第に弱気になって来るのがわかります。

 今や、家族でガラケーを守っている最後の牙城になりました。スマホへの道につながる断崖絶壁まで追い詰められています。

 いやナニ、別にガラケーに執着しているわけじゃないんですが、要はめんどくさいだけなんです、ハイ。(^_^;)

 こっそりと格安スマホだiPhoneだの違いや使用料などをパソコンで見つつ、思わず出るのはハァ~と深ぁぁいため息ばかりなりけり。

 世間の流れに乗っかるようで、反発心の強いワタクシめとしては、なんだかなー・・・・・・・(-_-;)


2017/02/13 (Mon) 09:27
入院した病院で感じた非常用階段の問題

 入院していた福岡大学筑紫病院の廊下をリハビリを兼ねて点滴を持って歩きながら、平面図形を頭のなかで描きました。

 入院していたフロアーの形は「目」の形で、両サイドの縦長の左下と右上端部には避難用外部階段が外部にありました。中の3箇所の四角の枡は、上下端がナースステーションとスタッフの諸室や処置室。中央の枡はエレベーターホール、屋内階段、スタッフ専用の諸室、手術室へのエレベーターなどが置かれています。

 「目」形の外周部に入院室とトイレが配置され、上記したエレベーターホールの廊下を挟んだ左側には入院患者と面会に来た人の談話用ラウンジやお茶などを自分で入れられる機械が設けられています。

 その両サイドの廊下の突き当りからは外が眺められますが、その突き当りから避難用の非常階段へのアクセスは廊下からドアを開け、階段を数段降りて廊下から見えないところに設置されている避難階段に行くような設定になっていますが、問題はそのドアを開けて数段降りないといけない形。

 何故そんな形にしているのか最初は疑問でした。そもそも入院患者は自分で歩いて避難できる人もいれば歩行できない人も混在しているし、自分で歩行できてもそれはとてもおぼつかない人のほうが圧倒的な数であるはず。であれば、何故ドアを開けて数段降りないと避難用の階段に行けないような設計をしているのか疑問に思っていましたが、ある時、ははーん、そういうことを考えたのかとわかりました。つまり、廊下からの眺めを優先したのではないかと。

 廊下からドアを開けてそのままフラットな面で非常階段へのアクセスが有ると、廊下からの目線には当然手摺にが目に入りますので、その分たとえ手摺がスチールパイプなどのスリット状のものであっても手摺が邪魔な存在として入りますし、スラブも目に入ります。しかしこの病院は数段下がっているので当然手摺やスラブは視界の下の方になるので邪魔な存在として意識されません。

 それは、非常時の避難時のスムースな移動を犠牲にして。

 これに気がついて他の避難階段の場所も確認しましたが、同じような作りをしています。つまり、私の予想はほぼ的を射ているのではないかと確信しました。

 確かに眺めはよく、そこに椅子をおいて終日外を眺めている人も居ました。病院の周辺は山や畑が遠望できる眺めのいいところでしたので終日眺めていても飽きの来ない景観の良いところでしたし、入院中に数回雪が積もったときには山水画のような眺めが出来ました。

 しかしそれと避難時の安全性とを引き換えにすることには大いに疑問、と言うより間違っているのではないか。病院という施設の性格上、何をさておいても入院患者の安全が最優先事項であるはず。

 景観の良さを活かすのなら、病院以外の施設であればそういう設計方針は優れていると思われます。

 入院したフロアーだけでしたので他は全く不明ですが、建物の意匠はコストがかかっているようでなかなか好感のもてるものであっただけに、なんだか少々惜しいなーという印象を持ってしまいました。

 もうン十年前になりますが、私が神奈川県で設計した個人の総合病院と比較して、当時はコストの厳しさもあって病院設計に対して設計者としての想いの10%も込められなかったことを思い出すと、これだけコストが掛けられた設計者が羨ましく思えたのも事実です。

 入院したこの病院で得たそうしたものが今後、私の設計でどんな形で反映されるのか分かりませんが、意匠性と機能性のせめぎ合いは何時どんな施設でも起こるものだと言うことを実感できました。

 

 

 

 

2017/02/06 (Mon) 16:52
手術から退院まで

 年が明けて2週間後の14日に福岡大学筑紫病院に入院しました。生まれて初めての入院です。これから退院までのおおよそ16日間は2m四方のベッド廻りに少々余裕があるというスペースが我がテリトリーです。

 当日は午前10:30に入院手続きを終わらせて、入院フロアーの看護師に案内されて私のテリトリーに荷をおろしました。

 麻酔担当医、手術担当医から簡単な手術の方法、麻酔の方法などの説明。

 緊張をほぐそうという気持ちから、どうぞ安心してくださいと言われましたが、特に緊張もしておらず、いわばまな板の上の鯉の心境、といっても鯉になったことはないので分かりませんが。

 血液検査、レントゲン検査、など簡単な検査を済ませたらその日はお終い。食事も予想よりは旨く感じます。

 入院翌日。夕食は無し。下剤です。然し今回は今までよりは量も少なく、味もなんとなくポカリスエットっぽいので、これなら飲めると最初は思いましたが、おしまいの方になるとやっぱり段々と飲めなくなりました。そしてトイレに駆け込むことも今回も同じ。

 手術日の翌日は朝から絶食です。二番目ということでしたが、何時呼ばれるかわからないので、妻も早めに来ていてひたすらお呼びがかかるのを待ちます。

 12時を過ぎたあたりに看護師がやってきて、手術着に着替え。

 看護師が昨日は眠れましたかと尋ねましたが、もちろんぐっすり。緊張で寝られない人が多いそうですが、私はほとんど緊張していませんでした。私があれこれ考えたって己の力でどうなるものでもないので、そういうことには神経使いません。

 手術室の前で間違いがないように名前と手術場所を自分の口で言うことで確認します。

 担当の看護婦が次々にやってきて私を取り囲みました。全員マスクで目だけしか見えないせいか、皆美人に見えたのがラッキー(^^)

 その確認が終わった後、手術室に入ります。生まれて初めての手術室なので、チャンスとばかりに床、壁、天井の建材を見回しました。無影灯も昔病院を設計した際に取り付けた無影灯よりコンパクトだなーとか、天井は有孔パネルが張ってありましたが、アルミかステンレスかどっちかなーとか思いながら手術台に乗ります。

 大丈夫ですよと優しく看護師が言ってくれましたが、緊張していないのが申し訳ないくらいで・・・(^_^;)

 台の上で背中から痛み止めの点滴を入れるための場所を探すために横向きになって背中を丸めましたが、顔の横に何かあるなーと思ったまでは覚えています。それから後は、私の名前を遠くから連呼する声にだんだん目が覚めて来て、最初はぼんやりとしか見えませんでしたが、連呼していたのは看護師で、妻も同じように声をかけているのが目に入りました。

 あー、まだ変だ。お前が美人に見えるからおかしい。と言った所、それならもう大丈夫と妻の声。ドあつかましい(-_-;)

 それからが大変でした。これ以上ないというくらいの痛さで、予想以上の痛み。いろんなチューブがつながれているので、ベッドで寝ていても寝返りも打てませんが、痛みが激しくて 寝返るどころじゃありませんでした。

 後で妻から聞いたところ、手術は当初は4時間位と聞いたそうですが、実際は6時間かかったそうな。原因は私の内臓脂肪の量が多くて、内臓が真っ白で手術する場所を探すのに手間取ったそうな。

 いやはや内臓脂肪とは恐ろしい。退院したら内臓脂肪を減らす努力をしなくっちゃ。


術翌日
 
 トイレは術翌日から自分の力で行きました。起き上がるだけでも歯を食いしばりながら。ベッドから立ち上がるのにも腹筋を使っているのでお腹が痛むし、歩くのももちろん、トイレのドアを開けるのもお腹に来ます。

 トイレにいくためにベッドから起き上がるのはもちろんのこと、物を取るのにいちいち腹筋を使うのに腹が立ちます。

 痛みを我慢して歩くほうが治りが早いそうでしたので、激しい痛みを歯を食いしばりながらもゆっくりゆっくり病院の廊下を歩きます。その時は体温や点滴、血圧を測りに来る美形の看護婦にも気が付きませんでした。とにかく痛い!の一言。


二日目

 まだ痛みは激しいものの、前日よりは少しは和らいだような気がしました。なぜなら看護婦の可愛らしい笑顔が分かるようになってきます。食欲なんてものは皆無で、まだまだトイレに行くにも決断を要します。

 見舞いに来る妻との会話も、お腹に力が入らないので別人のようにか細い声しか出ません。
 
 廊下を歩くにも痛みを我慢しながら歩くので、歯を食いしばりながら手を握りしめてゆっくりゆっくりと歩きます。いやはや我が人生でこれほどの亀の歩みは始めてです。

 可愛い看護婦が、ガスは出ますかと尋ねますが、んなもんお腹に何もないんだから出るわけ無いじゃんと。


三日目

 ようやく三日目。指折り数えて3日経てば少しは痛みは減るだろうと当初期待していましたが、やはりだいぶ和らいできました。そして待望のガスが音もなく出ましたが、これがマア異常なほど臭く、しかもなぜだかそのガスが重く、なかなか拡散しなかったのには閉口しました。

 まだ食事は出ません。点滴で喉の渇きも食欲も感じません。ただひたすらに本を読むばかり。


四日目

 お腹を掴まれるような痛みはだいぶ和らぎました。ソレとともにガスがよく出ます。しかもやっぱりむちゃくちゃ臭く、そして拡散しません。

 だんだんと看護婦にも自分の中でベストファイブを選定。要はそんなことしか気が紛れませんから。

 本も少々分厚いやつでも一日で読んでしまうため、毎日洗濯物を取りに来る妻に本を持ってきてもらいます。マア、こんな時くらいしか妻には我儘がいえませんから。(^_^;)
 
 食事はようやく重湯など液状のものが出ました。


五日目
 
 これくらい経つと明らかに当初の激しい痛みは薄らぎます。もちろんお腹のアチラコチラはまだ痛みますが、だんだんと動きもスムーズになってきました。

 身体に繋げられているチューブもだんだんと減ってきます。ソレだけでも回復してきているという励みになりました。
 
 体温などを計測に来る看護婦にも冗談を言う余裕も出てきました。おっさんギャグにも笑ってくれる看護婦にどれだけ癒やされるのかを実感します。
 
 やっぱり白衣の天使ってのは確かに言えるな~と実感。看護婦がニッコリしてくれるだけでも本当に癒やされるんですよ~


一週間経つと、痛みもだいぶ納まり、ベッドから起き上がるのも、痛みはあるものの全く余裕になってきます。
 後は出所日を指折り数えて待つようになります。毎朝回診に来る医者とも親しげに話もできるようになりました。

 見舞いに来た妻に、やっと一週間経ったと言ったところ、もう一週間ね、と宣いし。彼女は生まれて初めての単身生活を楽しんでいる様子。

あのねー(-_-;)


 そんなこんなで、当初の予定通りに30日に出所できました。

 病院から出たときの空気の上手いこと。いやはや娑婆の空気はうめー(^_^;)

 それにしても可愛い看護婦が多くて、ソレだけでもラッキーでした。いつもニコニコしてもらって、おっさんのしょーもないギャグにも白けた顔をしないで笑ってくれた**さん、マスクをしてもマスクをとってもすこぶる美形にも関わらずニコニコしてくれていた◯◯さん。いつもニコニコしてくれている多くの看護婦さん。

 あなた方には二度と会うこともないでしょうが、どれだけあなた方の笑顔で癒されたか、感謝しています。

 わずか二週間の入院生活にも関わらず、体重は4k落ちましたが、その全てが細くなった太ももの筋肉でしょう。内臓脂肪が落ちる要素がありませんから。
 
今は徐々に徐々に体力の回復を図っています。まだスムースな動きができない面もありますが、スクワットも徐々に回数を増やしていっています。

2ヶ月後くらいには元通りになることを目指しています。



2017/02/05 (Sun) 08:35
福岡大学筑紫病院ヘ行って

紹介状を持って福岡大学筑紫病院に行きました。

 ここは以前はその前を通り過ぎるばかりでしたので建物の印象としては余り残っていませんでしたが、いまや豪華な総合病院になっていました。

 行った当日は担当医は紹介状の内容を確認し、次回は内視鏡検査だレントゲン検査などをしましょうということで、その日はおしまい。またまた検査用の食料を購入し、その日からそれを食べて翌日は朝から病院に詰めて下剤をゆっくり飲みます。

 今回は市内の大腸専門委員の妙に甘ったるい下剤よりは梅味を持たせていてまだましでしたが、それでも最後の方になるとやはり吐き気をもよおします。もちろん何度もトイレに駆け込むのも同じ。
 
 内視鏡を受ける人が同室に約6人程度いましたが、私のように頻繁にトイレに駆け込む人は他にいませんでした。トイレから戻ったかと思ったら1分も経たずにまたトイレに駆け込む状態。お腹が絶えずゴロゴロと鳴っています。

 ようやく透明な状態になってしばらく待たされました。私以外の人は全員居なくなったので時間が長く感じられましたが、夕方近くになってようやく案内されました。また前回のように痛いのも辛いなーと用心していましたが、今回はTVでよく見るように痛みも感じず、ほっと胸をなでおろしました。

 モニターで自分の大腸の中を見ることが出来ましたが、やはり癌のコブはエイリアンでした。モニターの画面を睨みつけながら、コノヤローと何度もつぶやきましたよ。マア、今更怒ってもしょうがないんですけどね。大腸がんも私自身の細胞ですから。

 その日はソレでおしまい。翌日は胃腸のレントゲンと胸から大腸までのスキャン。

 ソレが終わって医者の診断を受けましたが、検査結果としては他への転移は見られないということで、早速12月に手術をしましょうと言われました。しかし仕事の都合でできれば年度替わりまで延ばしたいと希望を出したら、ソレはダメ。延ばしても1月半ばだということで、やむを得ず1月14日に入院、16日に手術。順調に行けば30日に退院ということになりました。

 然し、私の腸のレントゲンを見て、医者いわく、普通の人より大腸が長いと。それで私の足の短さの原因が分かってガテンボタンを数回押しましたね。

 ただでさえ日本人は腸が長いために短足なのに私は普通の日本人より腸が長いとのこと。今回、大腸をカットしたら脚が長くなるかしらと期待しましたが、今更なるわけないし。(^_^;)

 そういう状態で年明けに手術を控えて年末年始を迎えました。毎年初詣する市内の某神社に毎年のことながらの家内安全、無病息災を祈りましたが、無病息災はねー・・・100円程度のお賽銭じゃ、聞き届けてくれなかったんだろうなー・・・・神様も銭次第かぁ・・・・・

 次回は手術とその後のことを書きます。

 早く体力を戻すために毎日、スクワットとウォーキングをしています。
 
 以前は1時間位かけてウォーキングしても疲労感など全くなかったのが、昨日、ちょっと足を伸ばして45分ほどのウォーキングをした所、夜には疲労感がでてきました。

 やはり退院後1週間足らずではまだまだだし、予想以上に体力が落ちたことを実感しています。

 ハァ~・・・・(-_-)


2017/02/02 (Thu) 08:20
退院後3日経ちました

 退院後3日目です。少しずつスクワットを開始し、まだまだ短時間ですが毎日のウォーキングで体力の回復を図っています。

 今回の入院のきっかけとなる経緯です。

 私が罹患したのは大腸がんという代物です。場所は小腸と大腸が繋がる盲腸という箇所になるそうです。それがわかったきっかけは市の集団検診で、大便検査を3年ぶりかで受けたときの結果でした。

 毎回何もなかったので、今回も無いだろうと。むしろ前立腺がんを患った亡父のこともあり前立腺の方を気にしていました。年々、ホースから出る代物の切れが悪くなってン年経ちますが、これは男性の殆どが前立腺肥大症になるそうなので自分の力じゃどうしようもないこと。それはそうとして前立腺癌になっていなきゃいいなとソッチのほうを気にしていました。
 
 市からの診断結果を見たところ、前立腺には異常がありませんでしたが便に血が混じっていたので要精密検査との所見。エッ!俺が?誰かと間違えてんじゃないかと。それとも痔?お尻の穴は別に痛くもないので痔の自覚もないし・・・・と首をひねりながらも一応念のためにと市内の大腸専門クリニックで大腸検査を申し込み。

 その専門クリニックで検査の方法が2通りとの説明。一つは大腸がんの80%が見つかるという水戸肛門様廻りだけの検査。もう一つは大腸全体を見る検査。どっちにしますかとのこと。どうせなら全体を見ておくんない、と決断して、その日から検査用の食事制限用の食料をもらって帰宅。

 そして翌日。当日はもちろんのこと前日の夜から絶食。病院に9時までに入院。病室に連れて行かれて早速下剤1リットルを1時間掛けて飲めとの指示。その下剤が妙に甘い味をつけていて不味いこと不味いこと。最初のうちはなんとか頑張って飲みますが、だんだんと喉も通らなくなり吐き気も。

 飲んでる途中からでもお腹がピーピー言い出してトイレに駆け込み。その周期が段々と短くなって来ますが、色が無色透明にならないと内視鏡検査が出来ないということでした。

 結構いつまでも色がついているのでどうなることやらと思いましたが、何時間か掛けてようやく透明な液が出て、ようやく検査で呼ばれました。

 この内視鏡検査ってTVでも見たことがありますが、お尻の穴からチューブ状のものを入れてカメラで内部を見るということですので痛みは無いのだろうと高をくくっていた所、これがなんとマア痛いこと痛いこと。実際に穴の中に何か太い棒をグイグイ突っ込まれるようで痛い痛いと動くと、動かないでと叱られます。

 動いてほしくなきゃ痛くないようにしろよと言いたいところですが、そのときはそれどころじゃなくあまりの痛さに身体を捻ると上から看護婦が押さえつけてきます。

 道理で若い看護婦が回りにいるなとやっと納得。そうとは知らず、若い看護婦に囲まれたので思わずムフフと目尻が下がった私が馬鹿だった。(^_^;)

 後で妻にも話しましたが(彼女も大腸の内視鏡検査の経験者でしたが)、自分は同じ病院で大腸の内視鏡検査を受けたときには全く痛くなかったということでしたので、なんでこんなに痛かったんだろうと不思議。評判の良いクリニックでしたが、ヤブだと判断。

 TVで見た印象と随分違うなーと思いつつもなんとか終わって病室に戻り、点滴の影響からかしばらくベッドの上でウトウト。

 目が覚めて診察室に呼ばれてステージⅡの大腸がんだと知らされました。その時に画像を見たところ、グロテスクな塊が画像にありました。まるでエイリアンです。

 ハハァーン、こいつがいつの間にか俺の腸に巣食っていたってわけかコノヤロー。と思いましたね。

 まあ、ガンだと言われても全くショックもなく、ガーンと言おうかと思いましたが、目の前の医者やそばにいる看護婦にもうけそうになかったので止めましたが(^_^;)

 場所が場所なので自覚症状も皆無。これが肛門廻りなら便が細くなったりしてくるのでわかるそうですが、私が羅患した場所のガンなら自覚症状はよほど大きくなるまでは無いそうです。

 次回は紹介状を書くのでどこの病院が良いという希望を出してくださいということで、その日はそれで帰宅。

 然し、1日半食べておらず、しかもお腹の中はすっからかん状態でしたので、普段は歩いて30分位の距離でしたが、流石に歩いて帰る体力もなく、やむを得ずタクシーで帰りました。

 紹介状を書いてもらう病院は車で行けるという通院の利便性。我が家からの方向が通勤時間帯でも逆方向のほうが都合がいいので、筑紫野市にある福岡大学筑紫病院を紹介してもらうことにしました。

 これが大腸がん発覚のきっかけです。次回からは美人で可愛い看護婦がわんさかいる病院の入院後の経緯を書きます。

 
 
 

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