プロフィール

れれれのおじさん

Author:れれれのおじさん
長崎生まれで高校卒業まで長崎育ち。74年に建築設計の世界に入り、ゼネコンの設計部、アトリエ系の設計事務所などを、さらしに差した鉛筆一本で渡り歩いて設計を修行。86年に縁もゆかりも無い福岡で設計事務所を開設。日本の気候風土に合った風通しのいい住宅を基本に、自然素材を使った住宅造りを続けている。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

カレンダー

02 | 2015/03 | 04
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

FC2ブログランキング

FC2アフィリエイト

FC2アフィリエイト

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

2015/03/31 (Tue) 13:41
巾木と廻り縁

 床と壁の接線には巾木、壁と天井の接線には廻り縁という部材が取り付けられています。

 その目的のひとつは、巾木の場合も廻り縁の場合も、2つの材料が接する場合、現場で加工するためにどうしても接線が定規で退いたようにきれいなラインにならないために、それを隠す目的があります。

 もう一つは巾木の場合は壁材の保護があります。

 床と壁の入り隅は汚れやすいため掃除機やウエス等でゴシゴシやる羽目になります。いまではロボット掃除機で掃除させているご家庭もお有りでしょうが、そのロボット掃除機も壁に遠慮無くゴンゴ当たります。

 その場合、巾木がないと壁の床に接する部分が汚れたり材料によっては欠損になる可能性もあります。

 かたや廻り縁の効用は、天井板を廻り縁に乗せることで天井端部の水平ラインを見せます。

 こういうふうに夫々に取り付けられる目的がありますが、巾木、廻り縁が付いているとインテリアデザイン的にシャープさに欠ける印象を与えます。その理由で現在では余り目立つ廻り縁は付けないことが一般的になっています。

 しかし巾木に関しては壁際の汚れ防止という目的もあり、目線が近いため汚れに気が付きやすいために無くすことはまだ一般的にはなっていません。

 しかし室内の壁がコンクリート打ち放しであれば巾木を無くすことは普通に行うでしょうが、床を板材で仕上げる場合のコンクリート壁との接線のラインに凹凸が出ないように仕上げることは困難です。何故なら、コンクリートの壁にも凹凸があり、そこに床材がぶつかるのでなかなかきれいな直線になりません。

 ここにコンクリート打ち放しの壁に巾木を付けない事が一般的な理由が出てきています。コンクリートの壁に凹凸がありますので、巾木を付けても壁との間に隙間が見えて壁の凹凸が強調される事になるために美しくないという理由から来ています。

 コンクリート打ち放しの壁に巾木を付けないで床材を貼り付ける方法としては、床材端部の切り放しではあまりに雑な印象を与えますので、見切り縁のような材を床材に付けます。その際、その見切り縁を床材とゾロ(同じ面)仕上げにするか床材から数ミリ上げるか下げるかすることで、床と壁の取合いの印象が変わります。

 コンクリート打ち放しでもない場合、壁の仕上げ材がビニールクロスの場合はかなり困難、と言うより端部のビニールクロスが剥がれないために巾木は必要です。

 塗り壁の場合なら可能ですが、この場合では床材と壁材の取合い部分の壁材の欠損防止の配慮は必要です。

 巾木と廻り縁を無くして壁、天井を同じ材料で仕上げたインテリアはシンプルに仕上がりますので、家具や照明器具などが引き立ちます。

 このように建築を構成するための部品は夫々の役目もあり意味もあります。その部品を取付けるのを止めるためには一工夫もふた工夫も必要になります。

 しかし設計者としてそこに何かの表現を求めるとするのならば、そうした工夫をしていくことが必要です。

スポンサーサイト

2015/03/19 (Thu) 09:58
ちょっと古い本の紹介

 ここ数年、有難いことに仕事が切れ間なく続き、ゆっくりと本を読む時間もあまり取れない(酒を飲む時間は不思議とあるんですね、これが(^^)v)状態が続いてきましたが、それもようやく終わりが見えてきて、それはそれなりに個人で事務所をやっている者の習性というか、仕事が切れる恐怖感というものは何時でもありますが、毎度のことのように、ま、なんとかなるさという気持ちを持つようにしながら、溜まっていた本を読み続けています。

 そこで数年前に買ったっきり本棚に放り込んでいた、槇 文彦著「記憶の形象」という文庫上下の2冊の本を読んでいますが、日本人が書いた本なのになぜか英語の辞書を側に置きながらじゃないと読むのが困難という、いやはや物です。

 内容は建築論など建築思想に関わる槇さんの過去の随筆本です。それだけに内容は非常に高度で、朝の頭がクリアーな時間じゃないと理解困難ですが、非常に読み応えがあります。

 槇さんの建築思想、建築設計論、などを非常に丁寧に大学での講義を受けているように解説をしています。奇抜な建築を批判する槇さんの建築に対する真摯な考え方に非常に共鳴しました。

 この本は私にとっては重要な本になりました。 いやはやこんなに素晴らしい本にも関わらず本棚に放り込んだままにしていたなんて、反省しています。

 読みこなすにはとても時間の罹る本ですが、何度も読み返すべき本です。

 もう読まれた方はともかく、まだの方、それと建築を始めて数年の方、絶対のオススメです。

  その一節を紹介します。

 「設計とは多様な相剋する情報を操作し、実体化することのできる高度に組織化された精神的なプロセスであると言われるゆえんがここに存在する。」(「記憶の形象」下巻 P311)
  
 「今日では巨匠といわれた人たちの作品、そしてそれをつくっていく設計のプロセスを見るとき、その総合化は彼らによってアプリオリに確立された空間→形態・表象をあらしめる独自の建築哲学によって決定されたものが多い。」(同 P313)
 


2015/03/10 (Tue) 17:07
メルケル首相とアベルフ

ドイツのメルケル首相の原発に対する考えが記事になっていました。

 メルケル首相は福島原発の事故から、どんなに技術が優れていても事故は防げないということを学び、国民の安全のために全ての原発を廃止することを決めたということが書いてあります。そして、ドイツが敗戦後、近隣諸国に対して真摯に戦争責任を表明し反省したことにより、ヨーロッパでの地位を確保できたということも。

 それを見て、それに引き換え我が国の首相のレベルの低さに忸怩たる思いを持ったのは私だけでしょうか。

 原発に対する姿勢も真反対です。

 国民の安全より経済界の儲けを第一に考えるこの男の考えに唯々諾々従う御用学者を取り揃えた原発安全協議会の安全性の証明はどれほどのものかはしれたもの。

 国民の安全という票にもならないテーマより経済界の儲けを優先して多額の献金を期待し、選挙の時の集票マシンになってもらいたい目論見からだろうということは子供でも分かりそうですが、ポチ化した自民党には誰一人反論する議員も居ない。

 近隣諸国への真摯な反省に関しては、確かにドイツの隣接国であるフランスの懐の深さに比べると、世界も認めている感情的な民族と一党独裁国家の中国(はて、そういえば我が国も一党独裁じゃなかったっけ・・・自民党がだんだんナチ党に近づいているような気がする・・)のような、なかなか話が通じない国に隣接している我が国と比べることには少々無理があるにしても、侵略戦争だったということを認めようとしない低能首相を始めとしてそれにひたすら付き従う稲田政調会長や口先だけの議員を育てた松下政経塾出身の高市などは、侵略戦争とは思わないというあきれ果てた発言をするばかりか、安倍が9条を破棄して戦争が出来る国にしたがっている状態を見れば、どれだけ国民が品格を高めようとしても、アジア諸国はヨーロッパにおけるドイツのような国家の信頼は日本に対して持てないでしょう。

 つくづくと同じ敗戦国だったドイツとこの国が戦後70年で大きな開きができてしまったことを思い知らされました。

 国民性なのかヨーロッパと東アジアという地政学的なものなのかわかりませんが。

 日本人は今、TVでこんなに外国から尊敬されているんだぞという気持ちの悪い番組がいつの間にか増えてきました。

 そんな番組から我々日本人は特別な存在なんだという気持ちを持ちはじめ、そのうち、昔の本当に馬鹿な首相が発した、この国は神の国だ、というお粗末な発言を真に受け始めかねない。

 「失敗の本質」 という本を読むと、いかに当時の愚かな軍部のお粗末な考えで戦争が起こされたかが理解できます。
 
  また、いかに部隊の指導者の己だけの情緒による無謀な戦で無辜の市井の国民が無残に死んでいったか。

  その無能な勇ましいだけの軍隊の指導者は、悲惨な多数の犠牲者を出したにも関わらず誰も責任をとらなかった軍隊の在り方が、なぜか今の政治とダブって見えます。

 我々主権者は愚かな指導者を支持し続けることにより、また新たな民族の惨劇を繰り返すのでしょうか。

 何時になったら、日本人はドイツと肩を並べられる矜持を持てるのでしょうか。

 自民党はナチスに似てきている危機感をもつのは私だけでしょうか。
 
 安倍はアベルフと何時の日か呼ばれるでしょう。

 今や、安倍や政権に反対するような風潮に対して、口封じのような空気さえこの国にあることに異常さを感じます。

 戦前も国家反逆罪という恐ろしい法律があったそうですが、ヒタヒタとその方向に向かっているのではないかと危惧しています。

 平和国家として存在し続けたはずのこの国の平和な時代が終わる時が来るのでしょうか。そしてその責任は安倍とその取り巻き、そして何より、安倍を支持し続けている国民にあることは間違いが有りません。



 

| ホーム |

 BLOG TOP