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れれれのおじさん

Author:れれれのおじさん
長崎生まれで高校卒業まで長崎育ち。74年に建築設計の世界に入り、ゼネコンの設計部、アトリエ系の設計事務所などを、さらしに差した鉛筆一本で渡り歩いて設計を修行。86年に縁もゆかりも無い福岡で設計事務所を開設。日本の気候風土に合った風通しのいい住宅を基本に、自然素材を使った住宅造りを続けている。

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2014/07/30 (Wed) 14:37
何故、人を殺してはいけないのか

長崎の同級生殺害事件の重たい空気が覆っています。動機が人を殺してみたかったという理不尽な言い分に、被害者の家族にとって怒りが幾重にも重なってきます。

 それにしてもまた佐世保ですか。 
 前回は小学生が当事者でしたが、今回は高校生。なんとも納まりの付かない気分にさせられます。

 人を殺してみたかったという動機は、最近殺人を犯した若者の発言を新聞報道で目にする機会が増えてきています。

 以前、何かの討論番組で、出席していた若者から「何故人を殺してはいけないのか」と問題提起され、その発言は社会問題の様相を見せ、当時の有識者の間で話題になりました。

 その若者はべつに人を殺そうという意図があって質問したわけではないのでしょうが、その質問への回答の根底にある常識的な考え方に疑問を持ったためでしょう。

 何故、人を殺してはいけないのか

 この質問に対し、どうのような回答を伝えれば、その若者は納得したのでしょうか。

 当たり前過ぎることだけにどのように論理的に答えればいいのかに窮します。なぜならそういう質問があるということが一般常識的に考えて、今まではありえない話だったから。

 人は人として存在する価値が等しく認められている、その形而上の一般常識が問われています。そしてその形而上の問題を突き詰めていくと、人は人を殺してはいけないという答えが論理的に出るのでしょうか。

 しかし、それでは何故、戦争で人を殺すことは許されて、その行為は罪として問われないのでしょうか。

 世の中が少々きな臭くなって来ている今、佐世保の事件をキッカケにもう一度、「何故人を殺してはいけないのか。」を考えてみましょう。

 
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2014/07/18 (Fri) 17:56
人と人の距離感

建築は技術面、デザイン面、心理学、社会学などの多様の要素を含んでいることはご承知のことと思います。

 某ブログではデザインだけが上手な似非建築家に騙されてとんでもない欠陥住宅を掴まされた被害者が、裁判を戦っている奮戦記が出ています。

 それは今回のテーマとは違いますので話題を変えて、今回は空間の持つ心理的効果のことを書きます。と書くと学術的な面倒くさいことかと身構えたかもしれませんが、なになに簡単な話です。

 人が人と接する場合の距離感です。

 会議などでテーブルの形を注意してみましょう。ご承知の方も多いと思いますが、人が正面で対面する場合、これは敵対する気持ちにさせられます。

 相手の顔をしっかり真正面に見据えると力関係がモロに影響を与えますね。相手が上司だったり発注者だったりすると、とても緊張させられるのはこのことから。
 其のことを考えると、やっと口説いてデートした時、相手と正面に座るようなことは避けたほうがいいということです。気の弱い男性だったらしどろもどろになって、訳の分からないうちに終わってしまいますよ若者諸君。

 ではどうすればいいのかと言うと、親しみを醸しださせるためには隣同士に座るのがよろしいようです。但しこれはある程度親しくならないと至難の業。いきなりこれをやると相手の女性から用心されます。

 なんだか本題からずれました。

 このように友好関係を持つためには一番いいのは隣同士に座ることですが、いきなりではそれは無理というものですので、90°の角度がよろしいようです。その状態なら相手の顔も真正面から見ることもなく、表情もあまりよく読めないので雰囲気が和らぐそうです。

 この90°の角度というのは人間のコミュニケーションにとって最も好ましい角度です。

 さらに続けると、人というのは上方から指示されると反発しにくく水平線から8°下がりには好感を持つらしく、ははぁん、だから女性が男性より総じて身長が低いのはそういうことかと一人で合点ボタンを押しました。

 でも女性のほうがデカイと言うケースも有りますよね。ま、まあ、そのケースは今回は無視して続けます。(^_^;)

 お店の方は、この8°下方に好感を持つという心理を利用して商品陳列方法を検討なさってください。

 相手との距離感では、75cmが親しい関係で共同作業するのに適しています。 よほど親しくないと75cm以内に入り込まれると、人は緊張感が高まります。

 確かに満員電車を降りた後にしばらくは神経の高ぶりは感じられますね。その満員電車で廻りに女性がいた日にゃ、嬉しいやらシマッタという感情が入り乱れますね。嬉しいのは言わずもがなで、まずいな~というのはそれこそ痴漢に間違われないようにするのに無理なポーズを取らなきゃいけないケースですね。そうなると悲惨です。

 ん-・・、どうも話がずれる。

 先ほどのテーブルの話に戻すと、丸テーブルでの会議は発言が活発になって親しみがわく反面、イニシアチブを取りにくいというデメリットが有ります。イニシアチブを取るためにはやはり角テーブルを選ぶべきでしょう。

 国際会議でよく見られるようになった楕円のテーブルは、角型と丸型の両方のメリットを生かしたもののようです。

 まあ国際会議でいつも仕切り役はアメリカ大統領ですね。これにヘコヘコと卑屈に小判鮫風にくっついているのが某国の首相というパターンが良く見られます。

 とととと、いかんいかん。
 距離感の話を続けます。
 
 命令者と其の命令を受ける人の立場がはっきりするオフィシャルな距離が3.5mだそうです。この距離は我々の業界でいう距離ではほぼ2間。ヤードで言えば約4ヤード。

 この3.5mを半径としたサークルを超える場合、そこには反逆者が現れるそうです。なんだか分かるような気がします。

 政治的な話をする公衆距離というのが10m~15mで、街頭演説を遠巻きに聞く適切な距離がこの数値です。この距離はその人を認めていないことになるそうです。詰まり、演説は聞くけど支持はしていないよということになるのでしょうね。
 
 支持する人は確かに近づきますね。

 そので専門的な用語として

 ソシオ・ペタルの空間 という用語があります。
 これは、全員が集まってくる環境。バーのようなスペースを指します。

ソシオ・ヒューガルの空間
 なるべく広がりのある空間が気持ちいいというもので、病院の待合室のような空間を指します。まあ、病院の待合室が気持ちのいい空間といえるかどうかは疑問ですが。

 ここで病院の例がありましたのでその例として書くと、病人同士の場合、初期は多少距離が離れていて少し縁遠いソシオ・ヒューガルの空間に身を置く事になりますが、仲良くなってから求心的なソシオ・ペタルの空間にいないといけなくなるような空間の作り方を言います。

 人と人との交流関係は、最初は親しくなるまで距離を置きます(ソシオ・ヒューガルの空間)が、だんだんと親しくなってくるとより近づいて話をしたくなる(ソシオ・ペタルの空間)ような、そうしたソシオ・ペタル、ソシオ・ヒューガルの適切な考えに基づいた空間設計が必要になるという意味ですね。

 

2014/07/05 (Sat) 08:25
Wカップで分かったこと

Wカップも終盤に入り、準決勝、決勝と進んできます。日本はとっくに消えてしまいましたが、それでも世界一流の選手が揃っているWカップはJリーグと違い、さすがにレベルが高い。

 トッププレイヤーのメッシの唖然とする見事なゴールを決めた映像を見た時、こりゃ日本の選手は十年以上も追いつけそうにないと感じました。

 世界的なFWと日本のFWとの違いは明らかすぎることを思い知りました。

 日本の選手のシュートはそのほとんどがお粗末なことにボールが上に上がってバーを越えていきます。世界的なレベルの選手はシュートを打っても転がしていることのほうが多いってことに気が付きました。転がすという技術がどれだけむづかしいのかサッカーの素人には分かりませんが、やはり日本の選手がなかなかできないことを見るとかなりの技術が必要なことは明らかのようです。
 
 ボールコントロールも、一流選手は日本選手のように自分が蹴りやすくなるまでもたもたしていない。チャンスと見ればボールをすぐに蹴っていますが、日本選手はボールを蹴りやすくなるまでもたもたしている間に取られてしまうと言うシーンを度々見ました。

 最大の違いは、とにかくゴールを目指すという迫力が全然違います。

 世界のチームは誰であれ自分がボールを手に(足に?)したら一気にゴールを目指して突き進むその迫力は、まさに獲物を狙う肉食獣のような印象です。翻って日本選手。自分達のサッカーにこだわるためか、ひたすらパスばかり。見ていてイライラします。これは昔から変わった印象がありません。監督が外人になっても殆ど変わらない。

 これは多分に日本人と西欧人との気質の違いからきているのかも。日本人はとにかく皆で仲良くという教育を受けてきています。そのために自分が何とかするのじゃなく皆で対応しようという傾向があるのでは。西欧人はとにかく俺が何とかするという気迫があるのでは。それがボールが来たらパスばかりのサッカーと、ボールを持ったら俺がゴールしちゃるけんねというサッカーの違いかもしれません。

 それにしても勝ち進んでいったチームの勝ち方を見て、気がついたことがあります。上に書いたように、そのホントんどのチームはゴールを目指す姿は獲物を追いかけるハンターのような迫力から、確かにこのゲームは狩猟民族だった西欧人向きのような気がします。

 ゴールという獲物を狙い怒涛のようにゴールを目指して走り込む姿は、まさにハンターそのもの。

 翻って日本、そしておとなりの韓国は農耕民族。

 ひたすら種をマイて収穫時期が来るのを待つという生活を何千年もつ続けてきている民族に、獲物を追いかけるというDNAはあまり持ち合わせていないはず。

 総じて世界的なスポーツや格闘技は、やはり狩猟民族に有利なゲームが多いってことも事実でしょう。

 足長民族が獲物を追いかけるような格闘技的なスポーツに、胴長短足で農耕民族のモンゴロイドが対等に戦えるまでには残念ながら到達していないようです。

 サッカーは狩猟本能を生かしたスポーツだということの目線で見ると、あちらの国の人が本能の奥底が刺激されて興奮する人が多いってこともむべなるかなですね。
 

2014/07/02 (Wed) 08:23
アベルフ・ヒトラー

アベルフ・ヒトラーは民意も憲法もなにもかもぶっ飛ばして、自分のやりたい放題のファシストそのものの性格を露わにしてきましたが、ついに憲法なぞどうでもできる方法で戦争が出来る国に向けました。

 この男には憲法なぞあって無きがごとしで、どうでもなるという前例を作ってしまいました。今後の同じような軽薄浅学低知能政治屋の出現を恐れます。

 この男のこうした性格を知りながらも、まさかと思い前回の選挙では自民党に圧倒的多数を与えた自民党もしくはアベルフ・ヒトラー支持の有権者の皆々様、あなた方の行為によって、あなた方の子孫がアベルフの仕業により、戦場に行くことになります。

 そのことに、あなたは責任を持てますか?

 戦争は私は幸いにして経験していませんが、権力者に擦り寄った好戦作家が書いた「永遠の0」なる好戦本を見ると、戦争もかっこいいような錯覚を覚えさせえるような書き方をしていますが、要するに戦争は単なる殺し合い。そこにはイデオロギーも何もなく、前線には殺し合いの世界が支配している。

 チャップリンが映画でヒトラーのパロディーを演じた時、「一人を殺せば犯罪者だが、大量に殺せば英雄だ」というセリフがありましたが、戦争の実態をよく表しているのではないかと身にしみました。

 そもそも戦争を始めるのは時の権力者。そして前線で殺し合いをするのは市井の人。

 戦争を煽り、勇ましいことを煽って戦争に立ち向かわせる権力者は安全な場所で惰眠を貪り、前線にいる市井の人はドロの中で眠れない日々を送るのが決まりきったパターン。

 昔はベトナム戦争、最近ではイラク、アフガン戦争で帰還した兵士が、その後どれほどの人格破壊をしてしまったかを知る必要があるはず。その時のアメリカ大統領ブッシュは、安全なホワイトハウスで生活していました

 アベルフ・ヒトラーの言いなりになった自民党、公明党、官僚、そしてアベルフに擦り寄った橋下や渡辺などの政党と好戦作家共に率先して前線で戦ってもらいましょう。殺し合いをしてもらいましょう。

 この国では戦国時代に武士だけが戦い民はそれを弁当持参で眺めていたという歴史があります。 愛国的な方々にこうした伝統を守ってもらいましょう。

 普段から勇ましいことを言う方々へ、あなた方の望み通りの好戦国家になりつつありますね。望み通りに。そしてあなた方の望み通りに率先して前線に向かって殺し合いをしていただきましょう。

 力のない我々がアベルフ一派に仕返しをするときは選挙しか無いはずですが、その選挙さえも恣意的に変えていく魂胆があるかもしれません。

 その時はもはや、この国は戻れない国になってしまっています。



 

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