プロフィール

れれれのおじさん

Author:れれれのおじさん
長崎生まれで高校卒業まで長崎育ち。74年に建築設計の世界に入り、ゼネコンの設計部、アトリエ系の設計事務所などを、さらしに差した鉛筆一本で渡り歩いて設計を修行。86年に縁もゆかりも無い福岡で設計事務所を開設。日本の気候風土に合った風通しのいい住宅を基本に、自然素材を使った住宅造りを続けている。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

カレンダー

12 | 2013/01 | 02
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

FC2ブログランキング

FC2アフィリエイト

FC2アフィリエイト

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

2013/01/31 (Thu) 12:45
救いようのない体育会の連中

体育会の批判をしたところ、やっぱり柔道界でも同様の暴力行為がなされていた様子。
女子選手が告発したニュースが取り上げられていますが、これって男子も同じだろうと十分に予想出来ます。

体育会の相変わらずの体質、しかも全日本柔道連盟は監督擁護の発言が目に余る。

ほとぼりが覚めたら、告発した選手を炙りだしてやるという気持ちが伝わってくるのは思い過ごし?

こういう暴力行為をしたきた奴らが必ず言い訳するセリフは、「熱意を持って指導してきた。その熱意が強すぎた。」

こう言えば許されるとでも思うのか、あるいは少しは大目に見てもらえると思うのか、同じようなセリフを吐く。

前も日本人の体質に根ざしていると書きましたが、驚くことに父兄からも殴ってくれとの要望があるらしく、本当に日本人は軍隊が好きなんだと思わざるをえない。

体育会の上下関係も、一年違えば人格否定されても文句も言えないという馬鹿げた体質。

スポーツとはそもそも遊びの延長のはず。
楽しくなければ上手くなれないだろうということはわかりきった話。

失敗したらその理由、対策を一緒に考えることのほうが成長すると思いますが、やっぱり脳みそが筋肉でできている体育会の指導者連中にはそういう知恵も回らないと見える。

体育会のこんな体質、うんざりです。



スポンサーサイト

2013/01/23 (Wed) 12:57
おじさんは怒っているんだぞ

本日、2回目のブログ。

なぜかってーと、書かずにいられないことを目撃したから。

今日は朝から、各種証明書を受け取りに役所、県出先期間に車を転がしていたと思いね~。

信号待ちしていたオリ、前の車に「子供が乗っています」とよく目にするステッカー。
これを見るたび、だから?って突っ込みを入れますが、今日は目が点というか怒り心頭に達したというかなんというか、言語道断のことを目にしました。

くだんの車に確かに幼稚園にまだ通っていなさそうな子供が後部座席に2人、乗っていました。
子供同士で何か楽しそう。

うんうん、うちの子もあれくらいの頃は可愛くてねー・・・
ン?何か車の中が煙ってるなー・・・

と、よくよく見たら、前のシートに二人のっているオカーサンとその友達と思しき女性が二人、閉めきっている車の中でスッパスッパと盛大に口から煙を吐き出していました。

え、え、え~っ!
おいおいおい、あんた達はたばこを吸って肺がんになろうが自己責任ばってん、後ろの子供はたばこから出る煙をいやおうなく吸わされてるってこと気が付かんか?子供の肺が汚されているってこと、想像できんか?

あまりにも自己中の二人の女性に驚くやら腹が立つやらで、思わず降りて行って叱り飛ばしてやろうかと思いました。しかもその車、窓を開けてぶっとい腕をにょきっと出した途端、煙草をぽいと投げ捨て。

信号が変わらなきゃ、その煙草を拾って、忘れもんだよと車の中に反してやろうかしらと真剣に思いました。

それにしても、あまりにも子供にどう影響があるかの想像力の欠如に、とにもかくにも怒りがこみ上げ、あー、俺が超人ハルクなら、あの車つかんで端っこに持って行って説教しちゃるのにと思いましたものね。


別にハルクじゃなきゃいけないってことないんですが・・・

ついでに書くと、結構多いのが小さな子供を車道側に歩かせている人。
これ、若いお母さんだけかと思いきやお婆さんのような人までそんなことしています。

小さな子供って手を振り払って駆け出すってこと、想像せんかぁ?

そのいい例として、先日、現場から歩いて帰っているとき、ベビーカーと3歳くらいの子供を連れているお母さんを目にしました。

ベビーカーの赤ん坊が泣きだしたので、お母さんは赤ん坊に気を取られたすきにその子が手を振り払って駆け出しました。そこは歩道のない車が頻繁に来るところ。

幸いにたまたま私が通りかかったので、おーとっと危ないよ、っと何故かふうてんの寅さん風にその子を抱き上げました。

お母さんはとっさのことで顔が引きつっていましたが、車にはねられるよりも人相の悪そうなおっさんが受け止めてくれた方がましだというようでニッコリ微笑んでありがとうございますのお礼を言ってくれました。

「奥さん、大変でしょうががんばっておくんなせー」と、見た目には冴えないおっさんでも気分は高倉健。
でも、口にした言葉はこんなかっこ良くなく、「いや~、危なかったですねー・・・」。

ま、一般人はこんなもんです。

この人は車道側に子供を歩かせていたわけではないのですが、ことほど左様に子供ってのは見境なく駆け出します。

だから子供に対して危険なこと、体に悪いことはどんなことかを想像する力を持ってほしいなーと、おじさんは思うのです。

ここまで書いて少し怒りが収まりました。

それにしても、あの車。
多分今までも同じことを繰り返しているんだと思います。子供の肺はどうなってしまうんだろう・・・・

2013/01/23 (Wed) 08:59
大規模改修工事で

改修工事の現場が3件走っている関係で、毎日監理業務で忙殺されています。

無名な私にも仕事があるということだけでも幸せなことです。

しかし大規模改修工事で内部を解体してスケルトン状態にすると、その建物が真摯に工事がされていたのかどうかが実に顕になります。

今公民館の大規模改修工事でそのようなずさん極まりない工事がなされていたということを目撃し、市の担当者と工事現場主任と頭を抱え込むような現場があります。

最初に驚いたのは、以前の階段が蹴上200という公民館としては高すぎるという理由もあり、階段を基準法に満たすべき蹴上を低く改造するために階段を解体した所、既存の階段の横筋が壁内に定着しておらず、壁とはコンクリートでくっついていただけだったということが判明し唖然としたのは序の口。

よくまあこの状態で2005年の地震で被害が無かったものだと妙な所で感心しました。
なんだか少々ずさんでも建物ってのは2階建てRC造でも良質な地盤にあれば被害はそれほどないんだなと。

んならば新耐震基準だなんだかんだってのも、コストが余分にかかるにも関わらず効果の程はコストと見合ってんのかいなって疑問も出るのも仕方のな所。こんなこと一級建築士が言うべきことじゃないとはわかっていても、なんだかなー・・・

それはともかく、今度はしっかりと壁内に定着を取るよう施工図もチェック。

一難去ってまた一難。
今度は帳壁の下地はコンクリートブロック造だとは昔の建物であれば予想していましたが、そのブロックが高さ(専門用語で タッパ)が3m超えているにもかかわらず100ミリの厚みのブロックが使われており、しかも臥梁も無し。
ブロックのてっぺんは、上の階のスラブ下でおおよそ30ミリくらいの空きを取ったまま止まっています。しかも驚くことに縦筋無し。

よくまあ倒れなかったものだと、ゾゾゾーっとしました。

そのブロックの頭もところどころに隙間を埋めるためにブロックの破片を突っ込んでいるだけ。

その破片は手では取り除けないにしても、ハンマーで叩くとポロッと取れます。

こればっかりはLGS壁にやり直すにしても、予算が無い。
やり直すとしたらそれだけで軽く1,000万を超えそう。

市の担当者と方針を詰めた所、結論として、天井裏になる部分のブロックを撤去。
地震でブロックが落下しても、天井が受けてくれるだろう。天井を突き破っても被害は小さいだろう。
てな調子で、「だろうだろう」という楽観的な予想で対応せざるを得ない事になりました。
LGSにしたいのは市の担当者もやまやまでしたが、なにせ予算が無い。つまり税金が無駄に使えないということ。

苦渋の決断というところでしょうか。

公民館の果たす役目は災害時の避難場所。
しかしこの建物、市が所有する前は、おおよそ35年前に地域が某建設会社に設計施工でい依頼して建てたという民間の施設だったから、かのうようなずさんな工事でも可能だったということのようです。

新築時の図面を見せてもらった時には、その余りにも貧弱な図面で驚いたものでした。

一応設計事務所のタイトルは入っていましたが、設計事務所が頭になっていたわけではなく建設会社の下請けで書いたものだと分かります。したがって現場監理などもしているはずもなく。

設計施工という一貫生産方式の施工のずさんさがこれだけあっても、被害さえなければ万事オーケーなんでしょうか。建物としての文化的財産的価値はそこには考慮されていないことに、改めてこの国の建築文化の低さを思いやられます。

まだまだ開けてビックリ玉手箱的な建物ですが、ほとんどスケルトンになっていますのでさすがいにこれ以上は出てこないとおもいきや、またまた意外なところから昨日、はっきりしたことが有りました。

接続する増築棟の遣方をして、図面寸法と現場寸法がどうしても合わない。

増築棟の遣方は図面通りなので、何が違うのかと再三調べた所、本棟の方が図面と違って歪んでいたことが判明。
またかと唖然。

これはもうどうしようもない。

設計施工の第三者の検査が入らない現場は、かくもズサンになる例として、建築の文化遺産にしたいくらいです。

でもまあ、コンな例はこの国に掃いて捨てるほど有るのでしょうね。

設計事務所が監理に入っても、ほとんど現場に来ないという事務所も数多あるそうな。

こうなったら、そんな事務所を淘汰する必要があると思いますね。
建築士の免許偽証も多々あるにしても、日々の業務に対して、建築士として真摯に業務に対応してきたかという事に対する調査もしたほうがええんでないかい?

自称建築家からとんでもない欠陥建築を作られてしまった福岡の欠陥建築裁判をしている方も多いようです。
この自称建築家は建築士の資格はなかったということがバレたようですが。

ちなみにこの詐欺師、福岡の某国立大学の芸術学部出身。
旧九州*工大だったらしいですが。
以前、某市の市長選に立候補して落選したという、厚顔無恥、自己顕示欲の塊のような男と思われます。

2013/01/14 (Mon) 10:04
教師と言う名の犯罪者

体罰の問題がクローズアップされていますが、相変わらず旧日本軍の軍隊のような体質がこの国の体育会に残されていることは枚挙に暇が無い。

相撲界の体罰の時にも大問題になったにもかかわらず、厳しい指導が勝利につながるという精神至上主義がまかり通って何も改善されていない。

こうした問題が起きるたびにTVで関係者が頭を下げ、深刻に反省しているというポーズを見せます。

しかし、反省しなきゃいけないのは当事者は当然のことながら、そうした体質を持ち続けている体育会という全体主義的没個性強要上下関係絶対主義下級生奴隷制度が温存されたままを甘受している指導者という名の弾圧者。

私も高校大学と体育会に所属していましたが、高校時代は非常に民主的な部で、先輩後輩の垣根はそれほど高くなく、もちろん上級生に対する敬語は常識として使っていたものの、直立不動のような軍隊調は皆無でした。

それゆえに私が上級生になっても、後輩への接し方も非情にフランクでした。

それが当たり前だのクラッカーだと思っていましたが、大学時代に格闘技系の体育会に所属した所、そのあまりに極右的軍隊的体質にかなりの違和感を持ちました。

まあ打撃系の格闘技だったので練習中に先輩から殴られはケラれるわは日常茶飯事。
試合形式の練習では仕方がないとしても、普通に練習している際にも同様。

これが当たり前と思っている体育会出身者はたくさんおられるでしょう
それがおかしいと思わないから今回のような事件が起きたと、気が付かないことのほうが怖い。

己のストレス発散にしているのじゃないかと思えるほどで、その理由もわからないままひたすら直立不動を強いられ、なんじゃこりゃーと松田優作になり、心底反発を覚え、反発心を持ったままでは練習に集中できず、結局退部することにしました。

同時に退部した他の4人は呼び出されて部室で散々殴られたそうな。
まるでヤクザの世界です。

そうな、と書いたのは、私は殴られなかったのです。

部室に呼び出されたのは同じ。

講義が終わったら出口で先輩から呼び出しを食らい、部室に連行されました。

いよいよ来たかと気合を入れ部室に行った所、机が積み上げられていて最上段に部長がどっかと座って見下ろしていました。

まるで牢名主だなと、ビビるどころか思わず吹き出しそうになった記憶があります。

その後の部室でのやり取りは忘れましたが、気合負けしないということだけに神経を集中し、殴ってきたら大人しく殴られないぞと体中にエネルギーを満たしていた記憶だけが残っています。

このように、体育会の馬鹿さ加減にうんざりした結果、いまや大学生の学ランを見ると反発さえ覚えるようになったのはしかたのないこと。

こんな経験もあり、体育会イコール暴力で支配する集団という認識を持っています。

だから、相撲界の時も、あー、やっぱりこいつらは何も変わらないなと思っていた所、今度は高校の愚かなコーチ。

実に実に不愉快極まりない思いをしていた所、元巨人の桑田が実に正論を述べていました。

彼にして、教師の体罰には何も愛情を感じなかったということは、我が意を得たり。

姑息な橋下も桑田の正論を聞いて己の愚かさを反省したのは、まあ褒めてやろう。

この国の、体罰をもってして指導と嘯く体育会の体質は実に愚か極まりない。

まじめに部活動に取り組んでいる生徒または授業を受けている生徒に対して、気合を入れるという名目の暴力は、それが指導というレトリックを使っても一般社会では暴行傷害罪という名の立派な犯罪になるということ。

学校は教師と言う名の犯罪者の温床なのか。

2013/01/04 (Fri) 09:17
学び直してみたいこと

この数年、チャレンジしてみたいのにもかかわらず躊躇していることあります。

それは数学をもう一度学び直してみたいということ。

小学校は流石にパスさせてもらって中学校の数学からもう一度学び直してみたいという気持ちがずっとあります。

というのも、この国では建築は一般的には工学部という理系の分野に置かれています。
したがって入学試験も当然のように数学は必須。

私も一応は大学を出ているので、数学は得意のはず。

でもでも、数学は好きであっても得意だったかと聞かれると、ウ~ン・・・と首をひねらざるをえないのが
正直な所。

当時の数学の偏差値といえば、最大瞬間偏差値で65が最高で普通は60から63を行ったり来たりといったところでしたので、それほど得意というレベルの点数でもなかったということ。

しかし受験生当時は終日数学の問題を考えても何の苦痛もありませんでした。

クイズを解くような気持ちでしょうか。

今でも数独とかいうクイズを楽しんでいます。

しかし、振り返ってみると、大学時代は工学部に所属しているにもかかわらず高度な数学は建築の場合ほとんど目にすることもなく、今でもそうですが計算は基本の加減乗除で十分で、たまに三角関数が出てくる程度。

自然対数だとか微積分、行列、確率と統計というシロモノはほとんど接することがありません。

大学時代に同じ工学部の機械や電気の連中の教科書に数式がびっちり載っているのを見ると、頭痛がしたものです。

連中から見ると建築の教科書に出てくる数式といえば構造計算のみで、それさえも高度な計算式は必要ないとなると、建築って本当に工学部かい?と疑問を持たれるのも無理のない話。

そんなこんなで意匠系に進んだために大学で数式に接する機会が激減し、いまや行列だとかあれだけ超得意だった微積分のこともすっかり忘却の彼方。

数学とはセンスの問題だとは学生時代から持ち続けていましたが、近年、TVのクイズ番組で数学の問題が出た折、高校数学レベルだと思いましたが、解法が瞬時に思い浮かばず、あれま、状態。

やはり数学的センスが無かったかと思い知らされたのはいいとしても、もう一度中学校の数学から勉強しなおしてみたいなと思いました。

とはいえども、参考書的な本を購入してじっくりそればかり取り組むというような時間的余裕もなく、暇な時に飛び飛びでやっても理解できないだろうなということは経験上見えてきます。

時間があったらなかなか読めない建築の本や小説なども読みたいですものね。

そんなこんなで、結局今だに取り組めない状態。

でも、もう一度学び直してみたい気持ちは持ち続けています。

で、なんのためにするのってことですが、何でしょうね。

仕事に役に立てようという考えではなく、単なる自己満足でしょうね。

それともボケ防止?

2013/01/02 (Wed) 08:57
2013年1月2日

あけましておめでとうございます。

ことしも何の脈絡もなく、なんの社会的インパクトも与えずないブログを書いていきますので、お付き合いの程をよろしくお願いします。

さて政治の話から。

自民党が念願かなって政権に復帰。無能だった野田豚は消えていなくなり、予想どおりに自民は原発再開、電力会社救済、公共事業に大金をはたいて国の借金なぞ糞食らえ的な体質を顕にしましたが、このことを予想しなかった国民は少なかったはず。

まあ、民主党の豚や枝野をはじめとする無能連中の期待を裏切り続けた結果のことだと、あきらめますか。

それにしても、自民党の腐りきった体質が嫌で政権交代させたはずなのに、わずか3年でもとに戻したのはいいとしても、何も変わっていなかったってことですね。ヤレヤレ。

建築業界は、地球温暖化対策として新しい法律がどんどん作られてきています。最新の法律が「低炭素住宅認定制度」というもの。
これは住宅が消費するエネルギーをより少なくしていこうという考えのもので、消費エネルギーの低減化を図る対策をした住宅には様々な減税の恩恵を与えようと言うもの。長期優良住宅をより細かく規定したものです。

長期優良住宅や今度の低炭素住宅認定制度などなどを見ると、住まいはますます消費エネルギーを抑えるための設備機器に頼らざるをえないようになっています。

建築費はどんどん抑えられる中で、こうした消費エネルギーを少なくするための設備工事費へのコストは右肩上がりで、いまや工事費のなかでは、建築基準法で決められている基準を満たすための設備をまず先に押さえ、次に構造で安全であることが確認できるための構造コストが取られ、残されたコストでやっと意匠に使えるという状況に近くなりました。

私の場合という前提。

そういう我が現実を見回すと、雑誌に掲載されているような豪邸やビルなど、一体どれだけの予算がつぎ込まれているんだか全く検討もつきません。

若い頃からローコストほど建築家の才能が現れると信じてきましたが、いまやそんな綺麗事は通用しないという悲しい現実も痛いほど経験し、やはり世に出ている著名建築家の設計した建築は、私の携わってきた実務からは掛け離れた恵まれた予算であることは間違いがありません。

建築家の好きな打放しコンクリートを例にあげても、安藤忠雄の鏡のような綺麗な打放しを実現するためにはどれほどコストがかかるのか、数多く経験しました。

打放しは素人目にはチープに見えるようですが、工事費にも維持管理にももっとも金のかかる建築だということは、我々の常識。

最近はあまり見かけなくなりましたが、アルミパンチングメタル。
長谷川逸子さんなどが未だに多用していますが、これも私にとって見ればびっくりするくらい高額な材料。

住宅では極力アルミサッシではなく木製窓を使いたいと思っても、コスト比較をするとアルミを採用せざるを得なくなることはイヤというほど経験済。

建築雑誌に掲載される、木製建具をふんだんに使った住宅が醸し出す柔らかい空間に、その距離の遠さにただただため息が出るばかり。

外壁の材料を選択する際、外観のシンプルな印象をキープしたいと塗り壁を選択したくとも、結局サイディングを採用せざるを得なくなった時の度々の無念さは枚挙に暇が無い。

そんなこんなのローコストに悪戦苦闘するなか、村野藤吾さんが依頼者から先生の好きなようにデザインしてくださいと依頼されたというようなことを目にすると、そこまでの極みに至った建築家に比べるまでもなく己の無能さを思い知らされます。

しかし、たしかに歴史的に見てこのような砂のなかのダイヤモンドの天才が世の中のリードオフマンですが、グローバルな世界を動かしているのはその他の圧倒的大多数の砂である無名な市井の人々。

その無名の民である私も、世の中に対して無限にゼロに近い能力であっても人の役に立っているというインセンティブがあればこそ仕事に向かうことができます。

今年も、この様に凡庸な私でも一生懸命汗をかいて、信頼していただけるような仕事をしていきたいと思っています。

最後に、昨年、尻拭いをして納期に間に合わせるために睡眠を削りほぼ終日パソコンの前に座ったっきりで仕事をし続けて目の下に隈を作って、ひょっとしたら倒れるかもという精神的にも肉体的にも極限状態の時、こんなきつい思いをしてもタダ働きをしている己のお人好しさ加減に腹を立てて母にぼやいた所、母から言われた下の言葉で持ちこたえることができました。

「そいやっけん、仕事の来るとさ。」
(訳:そんなお人好しだから、仕事が来るんだよ)

今年も、よろしくお願いします。

m(__)m






| ホーム |

 BLOG TOP