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れれれのおじさん

Author:れれれのおじさん
長崎生まれで高校卒業まで長崎育ち。74年に建築設計の世界に入り、ゼネコンの設計部、アトリエ系の設計事務所などを、さらしに差した鉛筆一本で渡り歩いて設計を修行。86年に縁もゆかりも無い福岡で設計事務所を開設。日本の気候風土に合った風通しのいい住宅を基本に、自然素材を使った住宅造りを続けている。

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2010/12/29 (Wed) 09:19
同じ穴のムジナ

昨日で役所の仕事納め(「御用納め」と言い習わしていますが、何で「御用」なん?この辺の言葉使いが相変わらず「お上」意識なんでしょうね。「仕事納め」でいいと思いますせんか。)も終わり、今年もあと今日を入れて3日です。もう年賀状、出しましたか?

建築基準法の問題を先日書きましたが、やはり専門誌(日経アーキテクチャー)の12-27号には「建基法が清張を阻む}というタイトルで特集が組まれていました。

読む本が多くてなかなか目を通す時間が無かったので、昨日ようやくざっとですが目を通しました。

まあ、内容としては業界と消費者サイドとの認識の違いが明らかになっているということに尽きます。消費者代表の弁護士はより厳しくしろと発言しているようですし、業界サイドは、基準法が改悪になって社会的経済的にどれほど損失が生じているかとうことを記事にしていましたが、お互いの接点を見出せないまま散会したとのことでした。

記事の内容は割愛しますが、私が最も解せなかったのが、すでにご存知の方もおられるでしょうが、10月に名古屋高裁で出された「確認審査に携わる行政の責任は無い。」との判決。

責任を持たなくていい連中が確認の審査をしているなんて、考えられますか?

我々設計事務所にはこれでもかというほどの責任を押し付けながら、確認を審査をする行政には責任が無いということに公平性があると判断した裁判官の社会的な常識が欠落しているとしか思えません。もっとも、裁判官という立場も権力側の人間であるうえに、菅谷さん事件のように誤審しても誤った判決を出した裁判官は一切責任を持たなくていい仕組みにこの国はなっているので、同じ穴のムジナ。
裁判官に限らず事件の捏造が得意な検察官もそうでしょうが、この連中は、勉強が出来ても社会常識を持っていないって事を我々市井の者は認識していなくてはなりません。

確認審査の話に戻します。

建築の確認申請をするたびに、審査する行政側からは、建築基準法以外にもあーしろこーしろとなんだかんだ言ってきます。
こちらサイドとしては、おかしいと思う場合は意見のやり取りしますが、そのやり取りするだけでも審査の時間もかかり、結果的には発注者に迷惑を掛けることを恐れるため、有る程度のところで矛を収めるケースがほとんどです。

しかし、行政側が責任を持たなくていいということであるなら、つまり行政に沿う義務もないと解釈できるのじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。

常識的に考えて、我々が現場での監理の際に手直しや若干の設計変更などをする場合、それに対する責任も当然のように負うワケで、だからこそ現場で指導力が維持されます。

建築に限らず製品を作り出す業界では修正処理などをさせる場合に、修正させたことによって生じるリスクは依頼したほうにあるのは論を待たないはず。

ところがこの名古屋高裁の判決で、確認審査に関しては行政は責任を持たなくていいということになっています。
ということは、つまり行政の指導する内容に従う義務も負わないということになると思いませんか。

どう考えてもおかしい判決だとしか思えませんね。

裁判官は行政を守ることに一生懸命なんでしょうかね。同じ穴のムジナだものね・・・・



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2010/12/20 (Mon) 14:22
太った豚状態の建築基準法

数日前の情報ですが、国土交通省で建設業界と一般消費者との間で持たれていた改正基準法に向けての協議が物別れに終わり、進展無しとの結果になったようです。

業界団体のほうは、頭の悪い官僚が手を出して、はなはだ現実離れしてしまった現在の基準法を変えて、もっと使い勝手のいい法律にしようと言う姿勢での発言が多かったことでしょう。かたや消費者や消費者を代行する弁護士の立場からは、基準法を元のような緩やかな法律に変えると、また姉歯のような不届き者が現れる恐れがあるので、現行の基準法が安全な建築物を確保するには最低限の条件だとの立場のようです。むしろもっと厳しくしろという見解もあっただろうということは十分予想できますね。

双方の主張は、とても重なり合えるようなものではないことがはっきりしていますが、建築基準法が今のように改悪されたそもそものきっかけが姉歯問題に根っこがある以上は、消費者サイドにとっては建物の安全性に関することに論点が集約されてしまうのは仕方の無いことでしょう。

建築基準法第1章第一条に書かれているように、建築基準法は、
「国民の生命、健康および財産の保護を図」ることが目的であると明記されています。

お粗末な官僚どもによって悪文の最たるものにしてしまった建築基準法ですが、言ってみれば、建築業界の全員がこの第1章第一条に書かれていることを誠実に履行さえすれば大きな混乱はないはずですが、それが画餅に帰しているからこそ、いろいろな問題が生じて来るたびに法規を替え、その挙句が現行の最悪といえる建築基準法になってしまったという経緯があります。

現行の基準法が構造計算を改めて始めから見直すピュアチェックという制度を強いることでどれだけ発注者にとって不利益を被ることになっているのかを、出席した業界の人は分かりやすく説明をしたのかが今のところ分かりません。ただ単に現行の基準法が無駄な書類や作業を強いられているということを主張するだけであるなら消費者の同意は得られないのは火を見るより明らか。

以前の基準法であっても、地震時にしっかりと建っていた建物は数え切れないほど存在していたという事実を知ってほしいものです。むしろ、現在のような無用なピュアチェックが、どれほど効果があるのかを検証してほしいものです。

安全のために名目でこれでもかというくらいの法規制をかぶせた姿は、必要以上に脂肪を溜め込んだ豚状態に見えます。

物別れに終わったことは、進展に期待が持てないということを示唆して残念な結果になってしまいました。

2010/12/16 (Thu) 11:23
大阪のビル

大阪で鹿島建設の施工した21階建てビルの鉄骨柱が、3階部分で水平方向に7cmずれていたのをそのまま補強もせず今年の3月に引き渡していたということが新聞にありました。

読んだ瞬間は設計施工だと思い、設計施工ならばたとえ大手であっても誤魔化すだろうと思い込んでいましたが、どうも設計は別会社の様子。

記事には何処の設計事務所かは載っていませんでしたが、きちんとした監理はしていたんだろうかと疑問に思いました。現場からの改ざんした報告書でこと足れりと思っていたんでしょうか。

鉄骨柱の許容誤差寸法は決められています。つまり、鉄骨の柱は定規で引いたみたいに垂直に立っていないということです。

所詮建築物は工場製作品と違い、人の手で作るので、そこにはどうしても誤差が生じます。その誤差を数値化して誰でも検査できるよう決められています。
我々は監理する際には、この許容誤差範囲に入っているかどうかを鉄骨はもとより木造でも厳重に計測して確認します。それほど柱の傾きというものは強度に影響が大ですから。

大阪のビルの件の詳細報告は、いずれ専門誌に載ることと思いますが、それにしてもますます建築界の不信感を増幅させてしまったようです。

最初のほうに書きましたが、設計施工の信頼性に対しては、私自身は全く持っていません。

ちょいと考えれば分かることですが、設計図に描いてあっても現場で勝手に変更したり、あるいは今回のように施工ミスがあっても、同じ社員であれば、監理する者がやり直しを現場に要求して現場がそれに従うなどとはありえない話です。

これは私の実体験からきています。

大学卒業して入ったゼネコンで、社会人2年目の私が設計を担当した建物を監理に行ったとき、設計図と違う工事が分かったのでやり直しを指示したところ、現場所長から「お前は何処の会社のものじゃ!」と怒鳴られたことがきっかけです。あー、設計施工とはこういうことなんだなと理解しました。
さらに書くと、私の大学時代の友人が某大手ゼネコンで現場管理を担当しているとき、水平梁の位置を間違えてしまったそうですが、設計施工だったのでそのまま工事をしたということを、20代の頃に聞きました。

両方とも事実です。



2010/12/08 (Wed) 15:03
ジョン・レノン

新聞によりますと、今日は日米開戦の日だそうです。日中戦争に加えてこの日から日本は無能な当時の軍部に引きずられて、広島、長崎にトルーマンによる大量殺戮兵器を落とされるまで負け戦を続けました。

もひとつ、ジョンレノンが暗殺されて30年とか。

もう30年も経ったんです。30歳以下の人にとっては歴史上のことになりますね。

ご存知の方も多いことでしょうが、ジョン・レノンは本名はジョン・ウインストン・レノンという長ったらしい名前で、高校時代、近所でも有名な不良だったそうです。今で言うところのヤンキーとかチーマーということでしょう。その頃、クオリーメンというロックバンドを率いてバンド活動をしていました。
学園祭で演奏しているところに、クオーリーメンの仲間がポールマッカートニーを連れてきたというのが二人の出会いだそうな。この瞬間が、将来ビートルズとして世界を動かし、今でも超えるバンドが出てこないというロックバンドの萌芽だったんですね。

ビートルズも最初からスターダムにのし上がったわけではなく、下積みも何年か積み重ねました。しかし他のロックグループとは全く違うグループということで徐々に人気が出てきて、リバプールのキャバーンクラブで生演奏を聞いたブライアン・エプスタインがマネージャーになってから爆発的に人気が出た、というビートルズの大雑把な歴史を書きました。

その手のつけられない不良だったジョン・レノンが、音楽で天才的な才能を発揮し、さらには小野洋子と結婚したことで反戦活動を始めたことは有名な話です。しかし、もともとそのような気質が有ったんだろうと思います。アメリカに住んでいる間中、この二人はアメリカ政府にとっては危険な存在だったのでしょう。イギリスに強制送還するくらいでしたから。それだけ影響力が大きかったということです。

私にとってビートルズは永遠だし、そのリーダーだったレノン(ポール・マッカートニーがリーダーだったと勘違いしている人も居るかもしれませんが、レノンがリーダーだったんですよ)は、解散後の反戦活動を透して世界にメッセージを送り続けていた姿勢に共感することが多かったんですが、30年前の今日、ニューヨークで自分こそがジョン・レノンだと思い込んだ精神異常者から暗殺されてしまいました。

今日は、ジョン・レノンとビートルズの曲をBGMにしながら仕事しています。

2010/12/07 (Tue) 10:26
木その2

私の場合、いまのところ住宅の構造種類は木造が大部分を占めていて、鉄骨造が数件。鉄筋コンクリート造が全くありません。

鉄筋コンクリート造で基本設計をスタートさせたことが何回かありましたが、依頼者の要望・予算を考慮してみて要望を満たすには予算が足りず予算に合わせると有る程度の要望を諦めてもらわないといけないということが多く、相談の結果、要望は減らせないし予算もそんなに増額できないということから結果的に木造でということに落ち着くことがそのすべてといっていいでしょう。

中にはコンクリート打放しの住宅にしてほしいという要望もあったんですが、これ、すごくコストがかかるってことを理解してもらう必要があります。工事費ももちろんメンテナンス費用も大変です。

いまどきは少ないとは思いますが、コンクリート打放しってなんとなく工事途中という印象をもたれることも以前はありました。
いや、これ、実は私の妻の発言です。
東京在住時に私が担当したコンクリート打放しの集合住宅を工事終了後に見せたとき

「工事、まだ終わってないじゃない。」

と。運転中の車も一緒にガクッとしたような気がしました。

コンクリート打放しってのは、型枠の種類、組み方、コンクリートの打ち方、養生の仕方などなど、神経を使っているにもかかわらず型枠をはずすまでどんな風に仕上がっているのかが全く分からない、という、それこそ陶芸と同じようなものです。陶芸も釜から出すまではどんな風に焼きあがっているのかが分からないのと一緒ですね。

余談ですが、綺麗にコンクリートの肌が打ちあがっていたとしても、こんどはその肌合いを保つためのメンテナンスをしっかりする必要があります。交通量の激しいところのコンクリート打放しの外壁が雨染みと排気ガスで薄ら汚れておまけに苔なども生えているような建物、見たことあると思いますが、あんな状態は数年で現れます。

そんなこんなで、私の設計した住宅は、コスト面から木造がどうしても多くなってきます。

しかし、木造は知るほどに限界というものは先へ先へと行くように、実に奥の深いものだということが分かってきます。そして、木造で作るからには木のよさを生かした設計をすることが依頼者にとって心地のいい空間を提供できるのじゃないかと考えます。

この心地のいい空間ということは人それぞれの感覚なので分かりづらいものがありますが、このことに関して私が今でも心に残ってる記事があります、
少々古い話ですが、ベトナム戦争後、社会復帰が出来なくなった多くの帰還兵が森の中で生活するようになったという記事でしたが、その理由に、木に囲まれることで精神の落ち着きを保てるのじゃないかと書かれていました。

木に囲まれた空間が落ち着くというのは、なんとなく判るような気がします。
人も自然界の生命体のひとつであるなら、木と触れ合うことが安らぐのじゃないかと、その記事を読んで、今でもそのように信じています。



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