プロフィール

れれれのおじさん

Author:れれれのおじさん
長崎生まれで高校卒業まで長崎育ち。74年に建築設計の世界に入り、ゼネコンの設計部、アトリエ系の設計事務所などを、さらしに差した鉛筆一本で渡り歩いて設計を修行。86年に縁もゆかりも無い福岡で設計事務所を開設。日本の気候風土に合った風通しのいい住宅を基本に、自然素材を使った住宅造りを続けている。

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2007/11/28 (Wed) 14:12
何かの役に立つ話

頭がいいということってなんだろうと時々考えることがあります。
ということを考えると言うことは、つくづく私は頭が悪いと思い知らされていますから。

確かに東大、京大、早慶などの一流大学出身は頭がいいということになっています、が、これって変だとおもいませんか?勉強ができると言うことはその技術が長けていたのであって、それは頭の良さと関係ないような気がしませんか。

勉強に関する知識が多いから頭が良いとなると、その知識の量は学問に接する時間と正比例しますので、高校より大学、大学より大学院、さらに上に行く学者、とどんどん階層化して行きますが、そのフェーズを上がるにつれて自然と専門分野に特化して行き、知識は狭く深くなって専門外のことはほとんど分からないと言うことになりますよね。

知識量は専門分野以外では少なくなってしまうので、当初の前提としての知識量の多少で判断する基準からすれば学者は頭がよくないと言うことになりますね。でも、誰もそう思わないでしょ?ということは、頭の良し悪しを知識の量で判断することは間違っていると言うことになります。

では、頭のよさってどういうことなんだろうと考えますが、つまるところ発想の柔軟さに尽きるような気がします。

確かに勉強が出来る人は物事を多面的に考える能力を持ち合わせているようです。ある問題が出された時に、私のような単細胞は1つの解放で答えを求める癖がありますが、頭のいい人はAと言うルートから答えが出なければBと言うルートで答えを出します。このように解法を瞬時に探せ出せる人と言うのが頭のいい人になるのでしょう。

その例として数学の問題で、42×31の掛け算を暗算でしようとすると、私はひたすら、一桁の2×1で2、次は・・・と言うような計算をしますのでとても暗算なんかでは出来ませんが、インド式計算法ほどではないですが頭のいい人は因数分解を応用するのじゃないでしょうか。つまり、40×31を先に計算して、次に2×31を加えるとすれば1302と暗算でもできますよね。あるいは40×30に2×30と1×42を足しても出ます。
つまるところ因数分解でややこしい掛け算も暗算で出来る工夫が可能だと言うことになります。このことに私は社会人になって気がつきました。

ずっと学校で勉強してきたことがなんの役に立つのかと言うことに疑問に思っていましたが、数学のように問題への対処の仕方を視点を変えて考えてみると言うことを学生時代に学んできてたのだと言うことに気がつきました。上に書いたように掛け算の対処の仕方一つにしても、因数分解を利用すれば簡単に暗算でも出来る方法が見つけ出せると言うことです。

頭のいい人っていうのはきっと学校の低学年の頃からこれに気がついていたんじゃないかと思いますね。残念ながら私は社会人になってから気がついたので、その差は本当に大きいです。
これをご覧になっている方にこのようなことに気がついてもらえれば、今後の何かの役に立つのじゃないかと思います。

なんの役に立つのかって?だからきっと 何かの ですよ。


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2007/11/26 (Mon) 11:59
ああ一級建築士

栃木県で自宅に放火して奥さんを殺害した一級建築士がニュースで報道されましたが、とにかくやたらと一級建築士という肩書きが強調されたような気がしたのは私だけでしょうか。

どうも姉歯以来、一級建築士=悪いことをしでかしかねない連中、と言うイメージが出来あがっているようで心配なところです。ちょいと前までは、=の後は「ビンボーニン」と言うのがはまっていましたが、その時分には一部のセレブ化した建築士を除いて大部分はそうなんだろうと我が身を振り返り納得していたものですが、近頃の悪行を働いたのは一級建築士だと言った強調された報道のされ方は困ったものです。

放火した建築士の夫婦仲は良かったとの近所の評判だったようですが、一般的に一流と言われている建築家は離婚した人が意外に多いものです。
なぜかと言うと、メジャーな建築家はたいてい我が強く、だから個性的なデザインが出来るのかどうかの関連性は不明ですが、朝から晩まで建築のことを考えている生活で家庭的な人物は少ないようです。
勿論人に依りますが。そんな生活が奥さんには耐えられないのでしょう。

私の知人にも離婚した建築士がいて、彼は「俺もこれで、この面だけは一流建築家の仲間入りだぁ。」と、なんだか笑えないジョークを言っていました。

栃木の建築士もいろいろあったんでしょうか。
夫婦のことは傍目には分かりませんが、建築士に限らず世の中の夫婦の意識ってのはTVでアンケートがあったように「絆」と思うのは若い夫婦で、その後は「忍」の一文字になるそうですが、なんだか辛い話です。

ニュースではこの二年くらい仕事が無くて奥さんから責められていたとか、酒癖が悪かったとか色々と近所の人の話が出ています。しかし、人間って人に言えないこと誰しも持ってると思いますが、さもそのことが影響しているような報道です。
酒癖が悪かったことも、仕事が無い辛さを酒で紛らわしたのじゃないかと思うと、そこまで追い詰められた揚げ句の行状だったのではないかと考えましたが、生来の酒癖の悪い人も確かにいますので考えすぎかも知れません。

姉歯のせいで建築基準法がとんでもない改悪になってしまって建築業界が冷え込んできて、仕事が無かったのはその影響もあったのかもしれませんが、それにしても建築士の評判を落としてくれました。メディアもここぞとばかりに、また一級建築士がしでかしたと言うような報道です。

ホント、この国の建築士って地位が低いなぁ・・・・

2007/11/22 (Thu) 15:45
我が家の猫

我が家に猫がやってきたのは、今から12年ほど前になります。
現在と違う場所で自宅の中の一室を事務所として使っていた時のことです。
事務所で建材メーカーの人と打ち合わせをした後の雑談で、彼が「松尾さんのところはペットは飼っていないんですか?」と聞いてきました。

私の子供の頃は犬や猫が当たり前のようにいましたので、個人的にもペットを飼いたいし子供の情操教育からもペットがいるといいのでしょうが、マンションなので飼えないんですよと話しましたが、その時、相手の目が怪しく光ったのには気がつかなかったんです。

一渡り猫派か犬派かの話をして、彼は帰っていきました。

で、翌日、インターホンが鳴って出た時に、昨日猫と犬の話をした人がまたやってきました。
あれ?打ち合わせ漏れがあったかな?と、疑問に思いながらドアを開けた瞬間、灰色のウエスに見えたモノを私にホイと投げてよこしたので思わず受け取ったのが、生まれて2ヶ月くらいの猫でした。

「トイレのしつけはしていますから。」と言い残してドアを閉めました。
突然のことで唖然としていた私のことを気にも留めず、我手の中の子猫は、ひょいと床に飛び降り、初めての家にも関らずオドオドした様子も無く、さもいつものことさ、と言った様子でのんびりと歩き始めました。

その日、子供たちが帰って来た時のその喜びようと言ったらありませんでした。
特に動物好きの次女は、あまりのウレシさに泣いてしまうくらいでした。
末娘は、ちょっとでもへんなそぶりをしたらサッとトイレの砂に運ぶという役割を受け持ちました。

しかし、なにしろペット禁止のマンションでしたので、そりゃ泣き声にも機を使いましたが、ある時、ベランダの窓が開いていてベランダに出た猫が大きな声でニャーゴと泣くにいたっては、モロに規約違反がばれました。でも、猫だし、あまり目くじらを立てる人も居ませんでした。

規約違反には気が引けましたが、耐震偽装に比べれば可愛いものだと勝手に思っています。

猫が我が家に慣れるにつれて、家族が出てしまった後、寂しいのか私の事務所のドアの前で開けてくれと泣き叫ぶのに耐えかねてドアを開けて事務所に入れてやると、キーボードとモニターの間にどっかりと座り込んでしまい、猫の背中越しにモニターを見る羽目になることもたびたびでした。

その猫もわが家族の一員になってはや13年。
もう立派なオババ猫になっています。サツキ


今は3年前に末娘が拾ってきた胴長短足で首も短いという、なんだか私の姿を猫に変えたのかい、というギャル猫と一緒にいますが、メイ
このギャル猫がいつもオババを遊んで欲しくて追いかけるのですが、オババのほうは、んー、せからしか、と言ってんのかどうかは分かりませんが、相手にしていません。ギャル猫があまりしつこい時には牙を出してシャーと威嚇したりしていますが、全く通じていませんね。
ん?どうしたの?というような顔をして追い掛け回しています。

それを毎日眺めながら、今日も一日が過ぎていきます・・・

2007/11/16 (Fri) 19:02
畳の敷き方

京間、江戸間というように畳が入る寸法で柱心々間が決められたことを書いたついでに、畳の敷き方について今回は。

畳の敷き方は基本的に、床の間の位置や出入口の位置によって決めます。床の間の間口と平行に敷くことを「祝儀敷」と呼び、この反対に床の間に向かって射すような敷き方を「不祝儀敷」といいますが、不祝儀敷をすることは日常において避けたほうが無難でしょう。特殊な茶室や葬儀とかを行う時にはその敷き方をすることがあるようですが。

出入口は畳を長手方向に敷くことで、足の運びと同じ向きに畳の目が沿っているので畳を傷めない配慮がされています。

畳の敷き方で関東と関西の違いでの考え方で大きいのは4.5帖の半畳の畳の置き場でしょう。関東は武家社会であったので、4.5帖での半畳の畳を真ん中に置くことは武士が切腹する際に座っていたことも有り関東では嫌います。関西ではあまり気にしていないようですが。

床の間の話が出たついでに、和室の天井の意匠で「竿縁天井」というのがあります。最近ではあまり見かけなくなりましたが、杉板などを天井材に使う時、それを乗せるための竿状の材を天井に端から端まで渡したのが竿縁天井ですが、これも竿が床の間に平行にするのが正しくて床の間に射すデザインは嫌われます。

理由を聞いたときになるほどと思ったのは、床の間を背にして座るのはその昔は権力者であったそうです。
現在でも床の間を背にするのは守屋政務次官や久間元防衛省大臣など接待を受けるのが当たり前田のクラッカーという権力を持っている連中が座りるので、そこが上座になります。接待するほうは床の間に対面する位置に座ります。

その昔は、そのように上座の権力者を屠る意図で抜刀し切りかかった時に、天井の竿がその刀が当たって切り下ろせなくなるという理由からだそうですが、本当かどうかは検証していませんので分かりませんが、でもそういう理由としたらなんとなくそのシーンがイメージできてなるほどガッテンという気になりません?

しかし、当時の天井って、振り上げた刀が当たるくらい低かったんでしょうか・・・
坂本竜馬も切りかかってきた暗殺者の刀を受けたときに、床の間を背にしていなかったので切られたんでしょうか。

ことほど左様に和室の習わしは歴史と密接に絡んでいることが面白いですね

2007/11/14 (Wed) 13:39
京間と江戸間の違い

部屋の大きさを決める際の目安になるモデュロールとして、京間とか江戸間とかの呼称を耳にされたことがあるでしょう。

京間というのは読んで字の如く、京都を中心とした尺度の単位で、部屋の大きさを表すのに、1間の柱心々間を6尺5寸(1尺は約30.3cm)とするほかに、基準とする畳の大きさ6.3尺×3.15尺が入る部屋のサイズとする寸法の取り方になります。
6.5尺ということは、6.5×30.3=196.95cmとなり、おおよそ柱心間は197cmという寸法になります。

これに対して江戸間もしくは田舎間とは、同様に1間の柱心間を6尺で取ります。したがって、6×30.3=181.8cmでおおよそ柱心間は182cmという寸法になります。

私たちが通常、木造の住宅を設計する際の柱心間の押さえは特に要望が無ければこの江戸間になります。江戸間と関東間も同じ意味です。

京間と江戸間の大きさ比べをすると、たとえば6帖の部屋の大きさを調べると、6帖は2間×1.5間のサイズになりますので、
京間は (2×1.97)×(1.5×1.97)=11.64㎡
江戸間は同様に 9.93㎡ になります。京間のほうが江戸間に比べて同じ6帖といっても1.17倍の大きさになります。したがって、京間の6帖は江戸間での8帖大に近い大きさだということが分かります。

なぜこんな現象が起きたのかということですが、私が思うに、その昔の江戸は火事が多く、避難する際に畳も持っていったことから、運びやすい大きさになってきたのではないかと考えれば面白いかもしれません。

実際に、昔は畳は同じ寸法で全て作られていてどこに運んでもピッタリ合っていたそうですので、現在で言うところのプレファブの世界史的先駆けの文化じゃなかったかと思う次第です。そういう理由から運べる大きさにサイズダウンして言ったのじゃないかと思います。

これは建築に使われる建材のサイズも、3’×6’板(サブロクバンと読みます。単位は尺です。)人が運ぶということを前提にしたサイズで作られていることからも予想できます。

寸法の取り方は世界的に人体寸法から来ているケースが多いのも共通しています。尺寸単位やインチなどの単位は人間の手首からひじまでの長さを基準にしていますし、間やヤードも同様です。
しかしメーターだけは地球の円周を等分した値から出された単位ですので、これは人体に沿った寸法とは違いますね。

京間と江戸間の違いがお分かりいただけましたでしょうか。
ちなみに、九州も九州間という寸法単位があり、このサイズは京間に近い寸法になっています。

よく団地やマンションなどで和室の畳や広さのことを、キョウマと呼んでいることが耳にされたこともあるかと思いますが、この場合のキョウマは、もうお分かりのように本当の意味での京間ではなく、狭い間という意味での狭間ではないかと思いますので、キョウマという音だけで、本当の京間と勘違いしないようにご注意ください。

マンションなどの畳は入れ込む位置が違うとピッタリと合わなくなるということも、畳の大きさで決めているわけではないということがお分かりでしょう。






2007/11/12 (Mon) 08:38
バリアフリー

住宅や多数の人が利用する建築物にはバリアーフリーを取り入れるという考えが一般的になってきました。
バリアーフリーとはご存知のように利用する上での障害となるバリアーを取り除くフリーな状態にするという考えを元に、段差の解消や車椅子で利用できるエレベーターなどが住宅においても推奨されています。私も極力、その方針で設計に臨んでいます。

が、ただ単に段差をなくしてしまえばいいのかということに、長年なんだか引っかかりを持っていたのも事実です。

段差の無い身体障害者や車椅子での移動を強いられているお年寄りにとって優しい建築になりましたというお墨付きの印として、ハートビル法のマークを交付してもらい、目立つところに張っている施設を良く見かけます。

これは確かに親切な建築に違いないのですが、でも、それで全てOKなのかというように気持ちのなかで引っかかりがありました。

そんな時、自らが身体障害者で駅や道路などへのアドバイスをされている大学教授の講演会を聴く機会がありました。
様々なスライドが紹介され、是正前と後との利便性の向上は確かに目覚しいものがあり、それに応えてきた行政や建物の所有者の意識の高さに感心もしましたが、その中に出てきた改修方法と言うものは書物や役所から出されているハートフルな建物の設計ガイドのような内容とオーバーラップしていますので取り立てて目新しいものではなく、やっぱりそうなのかと言う気持ちのままスライドを最後まで見続けました。

スライドが終わって講演会の最後のほうで教授が発言した内容で、初めて私の中の引っかかりの正体が分かり、そういうことなんだ、と心底理解することが出来ました。

その教授が最後のほうで発言したことは

バリアーフリーと言うものは、お金さえかければ現在において考えられるあらゆる方法が取れます。車と交差せずに建物に安全にアクセスすることも可能です。でも、そのようなハード面でバリアフリーは我々障害者にはそれほど大きなファクターではありません。我々障害者にとって、最も大事で最も貴重なファクターとは人の心のバリアーフリーです。
街角で障害者を見かけた時、皆がさりげなく手助けをするような社会になれば、ハード面でのバリアフリーは重要ではなくなります。

私が段差をなくした、手摺をつけた、というようなハードのスペックに対して持ったなんとも説明のしようの無い妙な引っ掛かりが何だったのかをはっきりと教えてもらいました。

設計するに当たり段差や手摺をつければ良しと言う問題ではなく、本当に労わっているかという気持ちが入っているかという問題でした。翻って言えば、それまでそんな設計をしてきて、予条件を満たせれば済むという考えも確かにありました。

幸いにして今のところ私自身も家族も車椅子での生活や寝たきりの生活をしないといけない状態になっていませんので、口で言うほどどれだけその人たちの気持ちを汲めているのかということになると、偉そうなことは書けませんが、一つだけ言えることは、教授の講演会を聞く前と聞いた後でのバリアフリーへの考えかたが変わったということです。

バリアーフリーとユニバーサルデザインという両方のデザイン上での概念がありますが、その根本の構成は、建築は人が利用するものだという基本的なことを我々設計者は忘れ無い様にしなければいけないと思います。

初心忘れるべからずは、忘れがちなこのようなことを戒めた言葉ですね。



2007/11/09 (Fri) 11:15
傾き度の競争

今朝の新聞記事で、斜塔の世界一を競う内容がありました。

斜塔でまずすぐに思い出せるのは有名なイタリアのピサの斜塔じゃないでしょうか。この斜めになっているのを利用してニュートンだか忘れましたが、上階から物体を落として落下速度と質量との関係性を実験したという有名な建物ですが、近年は地盤の補強を行ったので傾斜が止まったとの記事を以前読んだことがあります。

新聞記事によると、このピサの斜塔と傾斜の度合いを争っているのが他に2つあり、両方ともドイツに建っている塔が紹介されています。

そのうちのまず1つは、ズールフーゼンの教会の塔ですが、この塔の傾斜角度は5.7度なのでピサの斜塔の4.95度よりも大きいと主張しています。
もう1つは、バート・フランケンハウゼン教会の塔で、こちらは5.37度で、ズールフーゼンのほうは本当は5・07度だからこちらのほうがギネスに申請できると主張しているようです。

外野席からすれば面白い競走ですが、それにしてもこれだけ傾いてよく倒れないものだと、地震国の日本にいると不思議でしょうがないのです。

確かにドイツは地震がほとんど無いところでしょうが、イタリアは日本と同じくらいの地震国のはずですのに、なんでピサの斜塔は何百年も倒れないのでしょうか。
これって視点を変えてみれば、法隆寺の5重の塔が何で地震で倒れないのかと同じことになるのかしら。

なんだか違ったかなぁ。

イタリアもドイツも行ったことがないので、その斜塔が建っているところの地盤のことは分かりませんが、なんにしても面白い競走に違いないですね。こんな競争ならどんどんして欲しいものです。

話は変わりますが、イタリアはそこらじゅうが遺跡だらけの国なので、建築家は新築の設計をすることは非常にまれで、リフォームやコンバージョンなどが仕事の中心のようです。彼らからしてみれば、日本でどんどん新しい建築を作れることが非常にうらやましいようですね。

それだけに日本での国際コンペなどにはイタリアの建築家が積極的に参加して入賞もしています。

建築の設計の世界も国際競争の時代になっていますが、私はひたすら深海を深く静かに潜行しているイエローサブマリンなので、地上の競争にはトンと縁がありません。

これって本当は辛いことなんですけどね・・・・

2007/11/08 (Thu) 13:37
受験シーズンでのこと

季節も11月に入り、受験生はいよいよ最後の直コースに入ってきたようなものでしょう。このブログを見ているような受験生は居ないと思いますが、受験生のお母さんに私の経験を書きますので、何かのヒントにでもなれば。

私は浪人して大学に入りましたが、入った大学はいわゆる滑り止めのつもりで居た大学で、そして本当に滑り止めになったわけです。

この大学は福岡で受験できましたので、長崎から前の日に福岡に来て大濠公園の近くの旅館に泊まりました。もちろん他の受験生との相部屋です。

冷たい風が吹き付ける底冷えのする日でした。

旅館の人の気遣いでしょうが、部屋の中の暖房ががんがん効いていて、朝起きたときには汗びっしょりになっていました。まさか汗だくになるとは思わなかったので、着替えの下着は昨日の入浴時に使ってしまったのでありませんでした。仕方ないので汗でぬれた下着のまま、バス停まで歩いて向かいました。

大濠公園と言う大きな池の公園の中央に歩行者用の通路がありますが、嫌がらせをしてるんじゃないかと思うくらいの強風の中を、身体を硬くしながらバス停まで歩きましたが、そのことが後でとんでもないことになるとは思いませんでした。

歩いている間に汗でぬれていた下着がどんどん冷えてきて、試験会場に着いたときには寒さでがたがた震えていました。

試験そのものは予想通りで、終わった時には通ったという手ごたえはありましたが、長崎に帰る汽車の中で寒さと疲れで身体がどんどんだるくなり、家に戻った時には顔が真っ赤になって寝込んでしまいました。

受験シーズン真っ只中の時に、熱を40度出してうんうんうなりながら寝ていました。しかし、何日か後には別の大学の受験が同じ福岡であるので、熱があるまま受験しました。
この大学は全ての模試でA判定から下がったことが無かったので、少々の熱でも大丈夫と思っていましたが、この大学は見事に落ちました。

熱が出ると、なんだか今まで頭の中にあったことが熱と共に消えていくような感覚になります。
熱が下がっても覚えていたものがすっかり消えてしまったようで、第一志望の国立大学も、判定は年間を通して全てA判定でしたが落ちました。A判定と言うことは85%以上の合格率と言うことになるようですので、私はわずか15%に入ってしまいました。いやはや、こういうことは少ないほうに入ってしまいます。少ないほうに入りたい宝くじなんかはなかなかなんですが。

話しがそれました。

このように日本の受験シーズンは一年のうちで最も厳しい季節ですので、風邪を引かないような注意をくどいくらいにしてください。1年間の努力がちょっとした不注意で台無しになってしまいます。

毎年受験シーズンになると、この熱を出して志望していた大学の受験の失敗を思い出します。

風邪引かない、熱出さない、しっかり寝る、の3原則を守って無事に乗り越えてください。

2007/11/08 (Thu) 08:21
電磁波に関する新聞記事から

先日の西日本新聞に九州大学の研究室で、電磁波問題に関する研究発表が書かれていました。総務省の「生体電磁環境研究推進委員会」と言う名称の会による、九州大学の上野教授による最終報告書です。

「生体電磁」とは新聞にも解説してありましたが、電磁波の人体への影響のことだそうです。

上野教授の報告としては、相当な時間をかけて調べた結果、国の安全指針となっている「電波防護指針値」を超えない限り、人体への健康被害に関する確たる証拠は得られなかったと語っています。

現時点では家電製品などを普段通りに利用している限り、健康への心配はない、との結論です。

この新聞記事を見て私が持ったヨーロッパでの電磁波の厳しい規制や実際の電磁化過敏症で苦しんでいる人も現に存在するということに対する疑問点は、増大するばかりでなんら納得の行くことではないと感じました。

電磁波は、実験室での結果と実際に影響を受けている人との乖離をどう整合性を持たせればいいのか、建築を考える身にしてみれば、大丈夫ですよとも心配ですよともいえないジレンマに苦しむばかりです。

先日も電磁波の問題で、建築的な対応の仕方の質問を受けました。

現在は片田舎に引っ越されたとのことでしたが、考えられる限りの方法を取ったとのことでしたので街中での生活に比べるといくらかは改善されたようですが、もっとしないといけないことがあれば教えて欲しいとの連絡でした。

電磁波の問題は私自身もまだまだ知識不足ですし勉強していかないといけない問題ですが、考えられるだけの方法をお伝えしました。
そのほとんどはすでに実践されていましたが、オールアースはされていなかったとのことです。

このオールアースの問題も、書物で呼んだ知識でしか持ち合わせていませんし、実際問題、どこまで効果的なのか正直分かりませんが、考えられる対処方法であればコストがかかっても取り組んでいく必要があると思います。

新築時に対処しないとオールアースは非常にコストのかかることになるようですので、これをなんとか改修時に出来ないものかと電気工事の関係者とも折を見て話をしますが、彼らにしてみても電気が悪者にされているようではあまり面白くない話に違いなく、なかなか本気になって対応はしてもらえないというのが実情です。

電磁波過敏症、シックハウス、化学物質過敏症など、一度かかってしまうと日常生活に支障をきたしてしまうほどの大変な状態になることを考えると、それに対処するコストはかける必要があると思わざるを得ません。しかし、掛けた分だけ何らかの効果が目に見えて改善されるようであれば、モチベーションも高まるのでしょうが、過敏症にならないためということであれば、目に見える効果もなかなか意識できません。
ここに、この過敏症に対する意識の持ち方が難しいものがあると思いますし、私も同様ですが、頭では理解していてもなかなか実感しにくいものです。

電磁波の問題は、本当に人体に影響がないのかどうか。
さまざまな過敏症に対する理念のバケツ理論で行くと、日常的に微量でも電磁波を受け続けていることは間違いがないわけですので、いつかはバケツがいっぱいになる時が来ることも予想されます。
それが何時なのかは誰にも分からないだけに、安全だといわれても何らかの対処はしていたほうがいいのではないでしょうか。


2007/11/06 (Tue) 17:15
お坊ちゃま君2号

安倍お坊ちゃまが、もう嫌だもんとわがまま言って総理大臣を辞めたのに唖然としたら、もう一人のとてもお坊ちゃま君と見えない面構えの小沢君が、俺の言うこと聞いてくんないなら、もうやんないと、民主党の代表を辞めると駄々こねて廻りを困らせちまってます。よってここに小沢君をお坊ちゃま君2号と命名します。

はぁ~、やれやれ。こんな訳の分からん坊ちゃま君たちが日本の行く末を決めることをやってるのかと思うと怖いですね。

ま、民主党つったって所詮は自民党予備軍連中。元をたどれば大半が自民党と同じ孔のムジナ。そんなに期待はしちゃいませんが、参議院で自民党がお坊ちゃま君のときに負けて過半数割れをしたので、少しは政策論争がましになってくるかなと期待していた矢先です。
こんなことやっちゃ、民主党はやっぱしダメだということになって次の衆議院議員選挙ではは自民党が勝つでしょうね。小沢君が言いましたものね、政権担当能力はないと。

それにしても民主が自民と連結したら、法改正はやりたい放題になって阻止する政党が社民党と共産党だけになってしまう状況は、考えただけでも恐ろしい話しです。どんどん日本も戦争に参加できるようにしようとしています。

でも、なんですね、日本は何かがあるとすぐ辞めることが当たり前になっていますが、辞めりゃ責任を取らなくてもいいってもんじゃないと思いますね。責任問題が辞めることでそれ以上の責任追及をしないでうやむやに済ませてしまうのは、日本人の好きな、いわゆる「武士の情け」ちゅうヤツでしょうか。

犯罪者に優しい日本人だから、厚生省、社会保険庁や国土交通省の官僚連中が社会的な混乱を巻き起こしても、結局その張本人は責任を取らずにぬくぬくと天下り先で高給取り。責任を取らされるのは毎回下っ端。

報道もその時はしつこいくらいに追及し、いかにも正義面して糾弾する姿勢を見せますが、ちょいと時が経つと、あれはどうなったのかいと言うくらい、その後の経過も何も報道しませんね。

報道関係者も、正義面した偽善者にしか見えません。





2007/11/01 (Thu) 15:42
照明器具

照明器具の種類として代表的なのは、白熱灯と蛍光灯ですね。それぞれの寿命は1000時間と6000時間。蛍光灯は白熱灯の6倍の寿命がある。と一般的にも幸之助さんの作った会社とかが言っていますし、それはこの数値を見る限りでは何の異論も挟めません。

でも車のカタログに載っている燃費同様、この数値も一般的な使われ方を前提としているわけじゃなく、延々と切れるまで点け続けた結果の寿命なんです。

使い方は家庭と事務所じゃ使っている時間も違うし仕方がないのはもっともな話しですが、白熱灯は点滅することが多いところに使うけど蛍光灯は点滅の多いところには不向きであるということは皆さんご承知のことだと思います。

理由は、白熱灯はすぐ点くけど蛍光灯は点灯するまで時間がかかるから、と言うことになっています。でも、知っている人は知っている知らない人は知らないとナニを書きたいのかTBSの番組みたいにじらすだけじらしていますが、メーカーが公表しないことがあります。それは、蛍光灯は1度の点滅で寿命がおよそ1時間短くなるということです。

住宅で天井のど真ん中に、幸之助さんの会社のCMに乗せられてインバーター付きの丸型蛍光灯をドカンとつけたと思いね。
外が薄暗くなってきたら点けます。寝るまでおおよそ5時間点けっぱなしにして就寝する時に消灯。これで1時間の寿命の短縮です。こうして一日の使用時間は、点け続けた5時間+1回の点滅で1時間 合計6時間寿命が短かくなります。

会社でも省エネルギーとして昼休み時に消灯していますが、これは朝夕と昼とで2時間分の寿命が短くなったということになります。もっとも、その寿命短縮分と省エネルギー効果と比べれば後者の方が社会的にも効果的ですが、そのことは今回のテーマから除きます。

ここで比較検討してみましょう。

蛍光灯 13Wの電球代=1029円 寿命=6000時間
白熱灯 60Wの電球代=105円  寿命=1000時間

電球代はあくまでも想定価格です。単純計算で言えば、蛍光灯の寿命が来るまでに白熱灯は6回替える必要になりますので、蛍光灯が切れるまでには 105×6=630円 かかります。この結果、電球代でみれば、まだまだ白熱灯がリーズナブルですよね。しかも蛍光灯の照明器具代も白熱灯の器具代より何倍もします。この計算では上の蛍光灯の持つ特質は除外しています。

消費電気はたしかに蛍光灯のほうが少ない。これは認めます。

蛍光灯からは電磁波(インバーター付きは電磁波が多い)と微量な紫外線が出ています。
白熱灯も電化製品ですので、電磁波は蛍光灯よりかなり少ないですが出していることは間違いありません。でも、白熱灯から紫外線が出ているという話は聞いたことはありませんね。
ちなみに日焼けサロンで使われているのは蛍光灯の親戚のような製品です。

省エネルギーの観点だけで捉えないで心理面などの含めた多角的に考えて見ましょう。

部屋の真ん中にドンと蛍光灯をつけるような照明プランは、確かに効率で明るくなりますが、どうして部屋の隅っこのゴミまで見える必要があるのでしょうか。

明かりの濃淡で部屋の深みをつけませんか。

昔の日本家屋は薄暗かったようです。谷崎潤一郎は、「陰陽礼賛」で、日本家屋の薄暗さをたたえています。薄暗い空間は原始時代の洞窟生活を何万年も続けてきた人類の本能の中に刷り込まれているので、精神的に落ち着くのではないでしょうか。

蛍光灯は空間をのっぺりしたものにしてしまいます。のっぺり顔のモンゴロイド系民族が部屋までのっぺりしなくったっていいじゃないですか。
日本の蛍光灯で真っ白にしてのっぺりした室内に比べると、外国の部屋がフロアースタンドやブラケットなどで光のデザインをしているのを見ると、部屋の奥行きがより以上感じられませんか。

白熱灯の欠点も確かに多い。白熱灯は嫌なので夜でも明るい部屋にしてほしいとの要望も少なからず出ます。
が、一度白熱灯やスポットライトを効果的に置いて点灯した生活をしてみてくださいと提案した住宅で、しばらくすると、あれだけ明るくなきゃ嫌だといっていた奥さんが、暗いって落ち着くよね、と豹変してしまったのには驚くやら嬉しいやらで。

所々に効果的に明かりがともっていてほんのり暗い空間って、魅力的で色っぽい空間だと思いませんか。

高級ホテルのラウンジやワインバーなど、落ち着ける雰囲気を大事にしているところは、ほとんど薄暗いですよね。

私、若い頃から暗いところが好きなもんで、暗いところに行きたがります。特に女性と一緒の時なんか・・・


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