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れれれのおじさん

Author:れれれのおじさん
長崎生まれで高校卒業まで長崎育ち。74年に建築設計の世界に入り、ゼネコンの設計部、アトリエ系の設計事務所などを、さらしに差した鉛筆一本で渡り歩いて設計を修行。86年に縁もゆかりも無い福岡で設計事務所を開設。日本の気候風土に合った風通しのいい住宅を基本に、自然素材を使った住宅造りを続けている。

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2007/08/30 (Thu) 13:00
寺院・神社と権力者

神社・寺院建築の見方を学んで分かることは、年代によって様式が少しずつ異なってきていて、それを見ることで建立の時代が判定できるそうです。

寺院建築はもともと中国から伝わってきた様式が元になっています。仏教が中国から来たのとほぼ時代を同じにしているようです。

日本にはそれよりも以前から神道による神社が建てられていました。

有名な出雲大社は、本殿の現在の高さは24mですが、その昔は96mほどの高さがあったという噂もあります。
それが事実かどうかは分かりませんが、出雲大社の礎石からかなり大きな木材を柱として使っていた形跡があるとがわかり、96m説もあながち噂にとどまらないようですので興味津々でもあります。

寺院とか神社とかは、その昔は権力者の権勢誇示のためのシンボライズ化された建築物としての役割もありました。

そもそもピラミッドにしてもタージマハールにしてもベルサイユ宮殿にしても、巨大で豪華な建築物は古今東西、権力者の権勢を現したものです。

つまり、建築と権力者は異心同体と言ってもいいのかもしれません。

そこには当然のように権力者の意向を受けて設計をした御用建築家が存在しました。
このような御用建築家は現代に至っても存在しますね。

建築は権力者が作らせたものが世界遺産として残っているケースが多いのですが、建築を利用しているのは権力者だけではないのは勿論ですね。

われわれ庶民も日常生活するうえで多様な建築を利用し、多種多様な形態が町並みを形成していきます。

一般の住宅や住宅と店が併用になっていたり、旅籠といわれる建築が集まって魅力的な町並みを形成している馬籠のように、日本の町並みと景観は、その昔は渡来した外国人から箱庭のように美しいと驚嘆されるほどのようでした。

今でも田舎のほうに行くと、茅葺の屋根が残っているところなどは背景の山並みと溶け合って実に美しいと感じます。

次回は、町並みの話。

今回はあまり脱線せず真面目だったなぁ・・・


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2007/08/28 (Tue) 08:33
神社・寺院

昨日、毎月一回受講している朝日セミナーと言う講座を博多駅前の朝日新聞社のビルに行ってきました。

朝日新聞は右寄りの方々はチョウニチ新聞とか揶揄しているようで、なかなかウマいこというなぁと感心していますが、しかしそのことと講座とは全く関係の無い話です。

ちょっとしたきっかけで話しがあっちこっちに飛びまくるのはいつものことで、家族で話をしていても話の脈略からあちこちに膨らませてしまいますので家族は訳が分からんと言いう顔をしています。

で、何の話でしたっけ・・
そうそう、セミナーの話しでした。そのセミナーは九州産業大学教授の佐藤先生が講師として「寺院・神社・町並みの見方」という内容で4月から9月まで月に1回行われていますが、この講座を受講して、なるほどと思うことが多く、受講してよかったと思える内容でした。

学生時代にこれほど身を入れて授業を受けていれば、さぞやと思えるような大学に行けたんじゃなかろうかと、さぞやと思える大学に行っていない我が身が勝手に思い込んでも後の祭りですが(頭の中身はこの際問わないように)、人に教えてもらえる学生時代というのはなんと恵まれていた時代だったんだろうとしみじみ思いました。

でもこんな感想って、後でしみじみ思うんですよね、誰しも。

寺院や神社などの建築物の見方などはなかなか専門的に過ぎて、研究者でもなければ通常は自分からアクション起こさない限りは知る機会も無いものです。

私自身は学生時代、大阪に居ましたので、京都や奈良のそういった古建築に興味があり、西欧で起こった近代建築を日本で解釈するには日本の古い建築を学ぶ必要がアンデネーカイと仲間に提起して、この指止まれと仲間を募りました。

そこそこ集まったのはよかったんですが、ほとんどの連中が近代建築に興味があったため、アベシンゾー同様、指導力の無さで空中分解して頓挫してしまいました。

そこで仕方なく一人で(彼女と一緒ならさぞや楽しかったでしょうに・・・)京都や奈良の建築物を見に行きましたが、どこをどう見ていいのかさっぱり分からないままに、それでも法隆寺や唐招提寺、苔寺などの建物のみならずその環境の空気と言うものを感じることが出来たのは大きな収穫でした。

で、その収穫がどうなったかって言う話ですが、どうなったんでしょうか。設計にそこはかとなく反映されているのかどうか分かりませんが。

話が長くなりましたね。次回はこの続きです。
2回に分けて書くつもりじゃなかったんですが、すみません。

遅くなりましたが、私のブログを読んでいただいて励ましていただいたFine Day さん。コメントありがとうございます。読んでいただいている方がいらっしゃると思えると大変励みになります。

拙い文章ですので申し訳ないですが、そこは作家じゃないので大目に見てください。

これからもよろしくお願いします。




2007/08/27 (Mon) 08:44
善意の押し付け

タイミングがずれましたが、今年も恒例の偽善番組が飽きもせず長々と善意の押し付け、感動の押し付けを24時間、流し続けたようです。


と書くのも、この手の番組の善意の押し付けが胡散臭いためと番組の趣旨も理解していないような軽薄な芸能人の馬鹿騒ぎにうんざりするので、もう何年も前から見ていませんので。
年末の紅白と同じで、メディアの押し付けに権力的な臭いも感じてしますのはなぜかしら。読売新聞系列のNTVだからかな・・・

おまけに、なにやらカルト信者芸能人が大挙して出ている番組にはとても心からの善意を感じられないですね。

どうやら最後にはあの最も偽善者っぽい萩本がマラソンをしたとか。

なんでマラソンが必要なのか理解できないし理解するつもりも無いですが、あんなことして市井の人が懸命にためたわずかなお金をかき集めるようなアコギなことをしないで、このブログに以前書いたように、出るタレントの高額なギャラをまとめて寄付したらいかが?
24時間ぶっつづけで放送する間に高額なCM料が放送局にどっさり入っているはずですが、それも皆寄付したらいかが?

それくらいの姿勢を見せたら評価しますよ。

そのような姿勢も見せないで、いかにも善行を行っているような態度は改めたらどう?
涙を流して高感度アップを狙ったそぶりも止めなさい。
そんな貴方を信じて、幼い子供がお小遣いを一生懸命貯めたのを寄付していることに心が痛まないのかい?

そんな子供に対して、高額なギャラをもらいながらも寄付もしない貴方が、本当に愛は地球を救うなんて歯の浮くような言葉が口から出るかい?

さすがに久本は今回は出ていないようでしたが、これも忙しいからだけであって偽善そのものの人物を演じるのが得意なのはこの人と萩本が双璧でしょう。

以前、映画の悪役をやっていた俳優(故人ですが)が無名な頃から刑務所の慰安を亡くなる直前まで続けていたという記事を見たことがありました。

有名になってからも以前と変わらずひっそりと続け、亡くなってから関係者から公表されたようです。

このような人こそが、善意の人物だろうとおもいます。

TVの前で、わざとらしく涙を流す演技に長けた人物が善意の人との思い込みは、新興宗教(この連中も、新興宗教に被れているようですが)っぽくて怖いですね。

メディアのやることを無邪気に無批判に受け入れることは危険です。
そのメディアにとって都合の悪いこと、そのメディアの会社の方針に沿わないことはカットされるか編集で改ざんされることもたびたび起きていますので、注意して見ることにしましょう。





2007/08/20 (Mon) 08:34
建築の才能

このところ立て続けにコンペに応募したため、多忙な日々を送っていました。しかしコンペというのは応募しないと勝ち取れないし応募しても取れないという、ホント、買わなきゃ当たらないし買っても当たらないという宝くじみたいなものです。

己の才能の乏しさも嘆かわしいものがありますね。

独立する前は結構いけるんじゃないかと思っていましたが、こうもコンペに落ち続けると、いけるんじゃないかと思っていたことが自惚れで本当は建築の方の才能は無かったんだと落ちるたびに思い知らされて落ち込みます。

コンペに勝ち取る人はたびたび名前が載ります。
そんな人はやはり才能があったんだな、それに引き換え、と己の才能の無さに腹が立ちますが仕方が無い。

知り合いのいない福岡で始めた当初、知り合いを増やす努力は一応しましたが営業的才能も無いのには身にしみて、それならばとコンペに応募することにしました。

賞を取れば何かのきっかけになることを期待して応募しますが、いやはや連戦連負で、競馬なら人気も出た馬もありましたが、名前も出ないしがない設計士じゃ名前さえも知られず、深く静かに深海に沈んだままのサブマリン状態が続いて、なかなか浮上できませんね。

自分に出来ることを精一杯学習しながら日々、少しでも向上する努力を続けるしかないなと思い続ける毎日です。

独立する時には誰しもスター建築家を夢見るのでしょうが、運と才能が
マッチングした人だけが夢を実現できる世界。
世の中に建築士がン十万数えるでしょうが、いわゆる建築家と呼べる人は両手に足りる程度でしょう。自称建築家は除きます。

万に一つどころの数ではないのですが、独立する時は意欲満々だし自分が次のシンデレラボーイだと思い込みます。
私はそうは思いませんでしたが、福岡で名が知れるようになりたいという気持ちはありました。

自分の限界が見えてきた時に、どう気持ちを持ち続けるかが難しいところです。

しかし、建築に対する夢は持ち続けていますので、才能の無さに嘆きながらも建築の本も読み、建築のセミナーにも参加し、必死で建築のことを勉強しつづけるのでしょうね。

いつかはドアが開くのを信じながら・・・・




2007/08/06 (Mon) 17:09
建築行為

今日の建築は住宅1つ創るにも騒音やら粉塵やらが舞い上がり、近隣住民に何らかの影響を与えます。

現在ニュースになっている漫画家のウメズカズオ邸の外観が赤と白のストライプになり、さらに屋根にはまことちゃんの目が付くと言うことで近隣から工事差し止めの要求が出るという騒動を考えると、個人の都合で建てる住宅でも、このように近隣のことを配慮しない自己満足での建築を建てる行為にはクレームがおきるということを認識すべきでしょう。

ウメズ邸の問題を聞いたとき、なぜ設計者は忠告しなかったのかなと思ったところ某HMの工事だと分かった時には、こりゃ忠告なんかしなかったんだろうなと思いました。

確かに建て主が自分の好き放題に建てたいと思うなら設計事務所よりもHMを選ぶのは仕方ないでしょう。

設計事務所は建築や住宅に対する1つのポリシーを設計者として持っている人が大部分でしょうし、発注者が自分の言うがままに設計しろといわれてもイエスマンになって設計する人は少ないだろうと思います・・思いたいです。

しかし、いかに設計者がポリシーを持って建築の設計をしても、工事する際には冒頭に書いたように騒音を出すわ粉塵をあげるわで、建築家ですとお高く芸術家を気取っている連中も近所に迷惑をかけてんですよ。

建築行為をするためには、緑で覆われた土地でも、ある程度の樹木の伐採が必要になりますし、場合によっては土地も造成が必要です。

こうやって取り上げると建築って環境破壊の一翼を担っているという認識を、我々設計者も認識しないといけないんです。

その贖罪の意味もあって、出来るだけ環境にいい建築を造りたいと日々願っている次第です。

もちろん、そんな建築が人にとっても優しいはずだと思っていますので・・

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